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家いちば見聞録

房総半島の最果ての地“鴨川”が最先端であり続ける理由

千葉県鴨川市|豊かな田園と漁師町が生んだ、究極のサービス産業 初夏の晴天の日、癒しを求めて、鴨川の田園地帯へ向かった。目指したのは、大山千枚田。展望台も整備された房総を代表する棚田だ。この春、雪解けの十日町の棚田を見て感動したばかりだったので、房総の棚田はどんなものだろうと様子見のつもりだった。行ってみると、瑞々しい緑の絨毯が斜面いっぱいに広がり、思わず息をのんだ。まだ早朝だったこともあり、周囲は静寂に包まれ、遠くから聞こえる鳥の声だけが響いていた。 棚田の光景に集まる人々 田んぼを囲む畔道の雑草は丁寧に刈り取られ、一枚一枚の田んぼが大切に手入れされていることが伝わってくる。十日町では山から引いた水路が巧みに張り巡らされていたが、ここにはそれが見当たらない。不思議に思って調べてみると、大山千枚田は全国でも珍しい「天水田」だった。川やため池ではなく、雨水だけで稲を育てているという。粘土質の土壌が水をしっかり蓄えてくれるため、この仕組みが成り立っているそうだ。 そこに「ごんべい」という古民家カフェの看板を見つけた。立派な古民家で、まだ開店前だった。中をのぞこうとすると、一人の女性が慌ただしく出てきた。金髪の外国人だった。観光客かと思ったが、首にはスタッフの名札が掛かっている。 「これから小学校の体験学習で、お弁当を作らないといけないんです。」 そう言い残すと、隣の建物へ足早に消えていった。「棚田倶楽部」という看板が掲げられている。中をのぞくと、「貸切」の札が出ていた。別の女性スタッフに尋ねると、これから市川市の小学生90人がやって来るという。 「小学生が、90人ですか。」 思わず聞き返した。この静かな農村に、そんな修学旅行のような団体客がやって来る光景は、とても想像できなかった。その直後、大型観光バスが2台、駐車場へ入ってきた。子どもたちは降りるなり、一斉に叫んだ。 「ヤッホー!」 ヤッホーの使い方が少し違う気もした。ここには、そんな大きな山はない。でも、その気持ちは分かる。都会の子どもたちが、この風景の中で何かから解き放たれた瞬間だったのだろう。微笑ましい光景だった。しかし、静かな棚田が心地よかった私は、その場を後にした。 棚田を維持保存するための仕組みと活動 これらの棚田や見学施設を運営・管理しているのは、NPO法人大山千枚田保存会だった。全国には美しい棚田が数多く残されているが、その多くは高齢化や後継者不足に悩み、維持が難しくなっている。その点、大山千枚田は「東京から一番近い棚田」という立地を最大限に生かしていた。学校の体験学習を積極的に受け入れ、年間5,000人を超える子どもたちがこの棚田を訪れるという。さらに、棚田オーナー制度や棚田トラスト事業を展開し、都市住民を巻き込みながら耕作放棄地をなくしてきた。その結果、現在ではほぼ100%という驚異的な耕作率を維持している。目の前に広がる青々とした田園風景は、美しい自然が偶然残ったものではない。人の知恵と工夫によって守られてきた風景だった。 田舎の田んぼに囲まれた“無印良品”の店舗 そのまま海を目指して、のどかな田園風景が続く長狭街道を車で走っていると、「MUJI」の看板が見えた。まさかあの無印良品のお店がこんな田舎にあるはずはないと思い、念のため矢印の方角にハンドルを切った。本当にあった。正真正銘のあの「無印」の看板だ。見たところ、おしゃれな道の駅という感じだった。中に入ると、渋谷にあるのと変わらない商品がずらりと並んでいた。一方で、農産物コーナーに行くと、地元の野菜や卵が豊富に並んでいた。これはむしろ渋谷にはないものだ。しかもそれらが、無印のコンセプトに沿っているものばかりだ。併設したカフェには、コンセント付きのカウンターもあり、そこから田舎の風景が眺められる。 ーーここに毎日来たい。 思わずそう感じた。店内で野菜を選んでいる客達は、地元に住む高齢者という感じだった。これも、渋谷の無印とは異なるところだ。無印が若者だけのブランドではないとあらためて思った。「みんなみの里」は、元々は市が運営する物産館があったらしいのだが、それを市と良品計画が協働して、2018年に全面リニューアルを施した。いわゆる官民連携というやつだ。これがどうやって実現したのか、気になった。 限界集落の再生に民間企業の力を借りる その経緯を調べてみると、始まりは2013年頃までさかのぼる。「NPO法人うず」の理事長・林良樹氏が、良品計画の当時の社長へ一通のメールを送ったことがきっかけだった。世界中を放浪した後、鴨川へ移住した林氏は、限界集落の再生に取り組んでいた。しかし、NPOだけでは里山を守るにも限界がある。そこで、「きちんとした哲学を持つ企業なら、この課題に向き合ってくれるかもしれない」と考え、良品計画へ協力を呼びかけたという。その思いに応えた良品計画は、里山保全活動を始めた。うずは、地元住民や行政との橋渡し役を担い、長年かけて信頼関係を築いていく。そして、その積み重ねが「里のMUJI」という形で実を結んだ。 鴨川漁港へ行くと、また驚かされた。漁港らしい風景を想像していた私の目の前に現れたのは、アメリカンスタイルのガレージカフェやレストランが並ぶ「Kamogawa SEASIDE BASE」だった。芝生広場を囲むように建物が配置され、まるでリゾートのような雰囲気である。正直に言えば、私はもう少し素朴な漁港の風情が残っている方が好みだ。それでも、中では若者も高齢者ものんびりと過ごしていて、地域の日常の居場所になっていることが伝わってきた。 「グランドデザインを描く」ことが行政の役割 後で調べると、ここもまた官民連携によって生まれた施設だった。MUJIの里の成功から数年後、鴨川市は市有地を民間へ開放し、設計から運営まで民間事業者へ委ねる方向へ舵を切った。市役所の中にも、従来の観光や農業といった縦割りを超えて地域全体を考える組織が設けられ、市は自ら施設を運営するのではなく、グランドデザインを描く役割へと変わっていったという。その転換の背景には、良品計画との出会いが少なからず影響していたのではないか。そんな気がしてならない。 従来、行政が建てた施設は、利用者が少なくても毎年税金で維持費を払い続ける「ハコモノ」と揶揄されることが少なくなかった。しかし、「里のMUJI みんなみの里」は違う。鴨川市は施設を所有し、良品計画へ指定管理料を支払う。一方で、良品計画は施設を運営し、市へ売上げに応じた納付金を支払う。つまり、市から出ていくお金と、市へ戻ってくるお金が循環する仕組みになっている。 さらに、施設を訪れた人が地域で買い物や食事をすれば、その消費は地元へ落ち、新たな雇用も生まれる。もちろん、良品計画も利益を求めて事業を行っている。しかし、それは地域の利益と対立するものではない。地域が活性化すれば店舗も利益を上げ、ブランド価値も高まる。地域のために利益を犠牲にするのではなく、地域が豊かになることが企業の利益にもつながる。そんな持続可能な仕組みが、この施設には組み込まれていた。 太古にルーツを持つハス園を育て、守ってきた民間企業 海へ向かう途中、「古代大賀蓮の里」にも立ち寄った。最初は何が「古代」なのかよく分からなかったが、説明板を読むと、大賀一郎という千葉の植物学者が、昭和26年、約2000年前から地中に眠っていた種子の発芽と開花に成功したことから始まるという。通常、種子の発芽能力は数十年程度と考えられていたため、その成功は世界中の大ニュースとなり、「世界最古の花」と呼ばれるようになった。ここに咲くハスは、その株分けを受けたものだ。栽培が難しい品種だが、長狭平野の豊かな土壌がよほど合っているのか、見事な花を咲かせていた。 そのハスに夢中でカメラを向けている男性がいた。いい写真が撮れそうですね、と声をかけると、男性は少し残念そうな表情を浮かべた。 「今は駄目だね。イノシシが荒らしちゃって。電気柵も効きやしない。」 そう言って、大きくため息をつく。 「一番見事だったのは30年くらい前かな。昔は、亀田病院が付きっきりで面倒を見てくれていたからね。今は市の管理になってしまって……。」 亀田病院。鴨川に大きな民間病院があることは知っていた。しかし、ハス園でその名前を聞くとは思わなかった。後で調べてみると、この土地はもともと亀田総合病院を営む亀田家の私有地だった。患者から譲り受けた大賀ハスを大切に育て、この地を鴨川市へ寄付したという。普通の病院とは少し違うと感じた。いや、それは「少し」ではなかった。 民間病院の”亀田メディカルセンター”の圧倒的な存在感 海沿いのリゾートホテルや鴨川シーワールドが並ぶメインストリートに、「亀田メディカルセンター」はある。周囲のホテルは、どこも建物の老朽化が目立つ。かつて隆盛を極めたビーチリゾートというコンセプトも、少しずつ時代の変化を迎えているのかもしれない。これは伊豆や房総半島のほかの観光地でも感じてきたことだ。 しかし、亀田病院だけは違っていた。まるで高級リゾートホテルを上回るような施設群が、海辺に堂々と建ち並んでいる。まず目を引くのは、淡いピンクやブルーを取り入れた外観だ。こうした色使いは、一歩間違えると安っぽく見えてしまう。しかし、ここでは見事な品の良さにまとまっている。病院や学校などの公共施設では、無難な白を基調にした建物が圧倒的に多い。その中で、このデザインは明らかに異彩を放っていた。建物の周囲には、リゾートホテルの庭園のように木々が植えられ、散策も楽しめる。正面ロータリーには何台ものバスが発着し、「東京駅八重洲口」行きの高速バスまで停まっていた。 ーー東京駅と直通なのか。 地方の総合病院という私のイメージは、この時点で完全に崩れ去った。中へ入ると、その印象はさらに強くなる。吹き抜けのロビーは、高級ホテルのエントランスそのものだった。ソファでは患者らしき人たちがくつろぎ、その光景すら自然に溶け込んでいる。館内にはショップがあり、タリーズがあり、さらにはユニクロまである。巨大な立体駐車場からは建物同士がブリッジで結ばれ、雨に濡れることなく移動できる。廊下や待合スペースには絵画が飾られ、病院特有の冷たさや緊張感を少しでも和らげようという配慮が随所に感じられた。 「ハードではなくサービス」という先生からの教え ふと、大学時代に学んだ野村先生のことを思い出した。「建築計画」の授業だった。当時の私は留年して「大学5年生」。卒業がかかっていたので、半ば渋々その講義に出席していた。しかし、その時に聞いた話だけは、今でも鮮明に覚えている。 「日本の病院は、アルコールの臭いしかしないでしょう。しかしアメリカは違います。病院へ入ると、コーヒーの香りが立ち込めています。」 そう語っていたのは、当時「病院建築の権威」と呼ばれていた横浜国立大学の野村東太教授だった。まだ昭和の終わり頃の話である。私はその時に「病院にカフェを置くことを考えるような仕事があるのか」と初めて気づいた。建築の学問に少し失望しかけていた頃だっただけに、その先生の話は深く脳裏に残った。それに、それまで私が学んできた建築の授業とは、明らかに視点が違っていた。野村先生が伝えようとしていたのは、建築とは建物という「ハード」を設計するだけの仕事ではない、ということだったのだと思う。そこにどんなサービスがあり、人がどう過ごし、どんな気持ちになるのか。建物そのものではなく、その建物で営まれる体験まで含めて設計する。それが建築なのだ。あれから30年。今では病院の中にカフェやコンビニがあることは珍しくない。野村先生のような研究者たちが、病院建築のあり方を少しずつ変えてきた結果なのかもしれない。そして、この亀田病院を歩きながら、30年前に教室で聞いた話が、目の前で現実になっていることに不思議な感慨を覚えた。 国内トップクラスの病院がある小さな地方都市 亀田病院も、施設が立派なだけではもちろんない。江戸時代からこの地で380年以上続く歴史を持ち、昭和の時代には、全国から優秀な医師を積極的に招き、地方でありながら高度医療を受けられる体制を築いた。そこで生まれた信頼と収益を、さらに人材、医療技術、サービス、施設へと再投資し、現在のタワー棟をはじめとする巨大な医療拠点へ発展させてきた。一方で、国際的な医療機能評価機関による「JCI認証」を日本で初めて取得するなど、医療の質そのものも世界水準まで高めている。米国の週刊誌『Newsweek』による世界病院ランキング日本版では、民間病院として国内トップクラスの評価を受けている。それが人口3万人にも満たない房総半島の地方都市にあるのだから驚く。 漁師町として繁栄した歴史 鴨川の街を見渡すなら、魚見塚展望台がいい。ビーチ沿いに建つホテル群と亀田病院、その向こうに広がる駅前の市街地、さらに背後の田園と丘陵地帯まで、一望することができる。もちろん、太平洋の海岸線も南から北まで手に取るように見渡せる。こうして眺めると、鴨川は実にコンパクトな街だ。かつて、この魚見塚からは漁師たちが魚群を見張り、豊かな漁場へ船を出していた。その麓に広がる貝渚(かいすか)地区は、石橋山の戦いに敗れた源頼朝が安房へ逃れ、再起を図った土地としても知られる。今も町を歩くと、往時の繁栄を思わせるレトロな看板建築が点在している。しかし、2026年にバイパスが開通したことで、旧街道には大型車がほとんど通らなくなり、町は静けさを取り戻していた。通りから一本入ると、狭い路地に家々が肩を寄せ合い、道路の上には洗濯物がゆれている。そんな、どこか時間がゆっくり流れる漁師町の空気が残っていた。 多くの芸術家がインスピレーションを受けた海岸と路地 さらに南へ車を走らせると、太海(ふとみ)という小さな漁師町がある。かつては「波太(なぶと)」とも呼ばれた港町で、南房総国定公園に指定されている仁右衛門島を望む景勝地でもある。ここは一時期、「絵描きの町」とも呼ばれていた。明治から昭和にかけて、多くの画家たちが写生旅行で滞在した宿「江澤館」が今も残っている。町を歩いていると、まるで時間が止まったような、不思議な静けさがあった。 その路地で、「つげ義春の代表作『ねじ式』の舞台」という看板を見つけた。最初は少し唐突に思えたが、調べてみると、つげ義春はこの太海の風景から着想を得て、『ねじ式』を描いたという。『ねじ式』は、それまでの漫画の常識を覆し、日本の漫画表現そのものを変えた作品として知られる。その影響は漫画界だけにとどまらず、宮崎駿や押井守をはじめ、多くの映像作家にも及んだ。『千と千尋の神隠し』のどこか夢と現実が入り混じる世界観にも、その系譜を感じる人は少なくない。今や日本のアニメは世界から賞賛される存在になった。その豊かな表現の遠い源流の一つが、この小さな漁村にあったのかもしれない。そう思うと、太海の古い路地が急に特別なものに見えてきた。 仏教の"民主化”としての聖地 もっと鴨川の歴史を探ってみたくなり、夕暮れ時の清澄寺へ向かった。ここは、日蓮聖人が初めて「南無妙法蓮華経」と唱え、日蓮宗が始まった場所として知られている。最初は、それがなぜ歴史的な出来事なのか、よく分からなかった。調べてみると、それまでの仏教は、お経を学び、その意味を深く理解できる一部の僧侶や知識人が中心の世界だった。それに対して日蓮は、「南無妙法蓮華経」とお題目を唱えるだけで、身分や学問に関係なく誰もが救われると説いた。それは、単に新しい宗派を作ったという話ではない。それまで一部の「エリート」のものだった信仰を、多くの人へ開いたということだ。言わば、仏教の民主化だったのである。 その日蓮聖人の銅像の近くに、白亜の御仏舎利塔がそびえていた。ここだけ、まるで海外の寺院のような雰囲気が漂う。インドやスリランカの仏塔をモデルに建てられたものだという。展望もよさそうなので階段を上ろうとした、その時だった。 「にゃあ。」 呼び止められた。首輪をした一匹の猫だった。こんなところに飼い猫がいるのかと不思議がっていたら、飼い主が近づいてきた。まるで僧侶のような風格のある女性だった。そして、この一帯の施設の説明や、仏舎利塔の正式な参拝の仕方などを事細かに教えてくれた。 「お寺の人ですか。」 違っていた。聞いてみると、元々は金沢の出身で、隣の大多喜町の地域おこし協力隊をしていたらしい。そして最近、この近くの築100年の古民家を買ったという。おそらく、それを聞いた私の表情が変わったのを察知したのだろう。さらに饒舌に語り出した。 「まだ全然住める状態じゃないの。土砂災害区域にも入ってるから大変なの。今は麓で家賃4万のアパートに住んでいて、そっちと行ったり来たり。隣にも空き家があるから、買ったらどう?」 思わず身分を明かしそうになったが、やめておいた。それから、この周辺の森のことなど聞いた。どうも、古民家と一緒に山林まで譲り受けてしまったらしい。 「鴨川で『最初』なのは日蓮宗だけでなく、日本林業の発祥の地でもあるの。」 寺院の聖域として守られてきた広大で神秘的な森林 ここ最澄寺に隣接する広大な森は、明治時代に「東京大学千葉演習林」として創設され、日本で最初の大学演習林となった。古くから最澄寺の聖域として守られてきた原生林と、東京から比較的近いという立地、その二つがそろっていたことから、この地が選ばれたという。 展望台からは、その深い森の向こうに太平洋が青く広がっていた。何百年も人の手で守られてきた森と、その先に続く海を眺めていると、不思議と心が静かになる。その時、ハルセミの鳴き声が森の底から響き渡ってきた。 夕暮れ時の飲食街と海浜プロムナード 黄昏時の安房鴨川駅周辺も歩いてみた。やはり、駅前にはシャッターの下りた店が多かった。しかし、よく見ると、ぽつりぽつりと飲み屋に明かりが灯り始めている。店先で中をのぞき込む客の姿もあった。亀田病院で働く医師や看護師だけでも数千人に上り、関連する業種まで含めれば、その雇用はさらに大きい。市内で働く人のかなりの割合が、亀田病院と何らかの形でつながっているという。駅前の居酒屋を支えているのも、そうした人たちなのかもしれない。 沿いのプロムナードを歩くと、夕暮れの海にサーファーの姿が見えた。それは、私がもともと抱いていた鴨川のイメージだった。しかし今は、まったく違って見えていた。

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    大山千枚田の棚田

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    古民家レストラン・棚田カフェ ごんべい

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    里のMUJI みんなみの里

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    みんなみの里の物産コーナー

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    鴨川漁港にある「Kamogawa SEASIDE BASE」

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    田園地帯には農家だけでなく、別荘風の家も見られる

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    内陸部の農家住宅

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    古代大賀蓮の里

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    亀田メディカルセンター

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    まるでショッピングセンターのような病院内部

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    亀田病院タワー棟の最上階のラウンジ

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    ドクターヘリは日本初の試験運用だった

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    魚見塚から太海方面を眺める

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    古くからの漁師町、貝渚地区

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    伊南房州通往還の街道沿いの町並み

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    貝渚地区の狭い路地

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    狭い路地に建物が密集している

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    貝渚の住宅街から鴨川漁港を見下ろす

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    太海の漁港

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    太海の町並み

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    江澤館は「画家ゆかりの宿」

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    つげ義春の代表作『ねじ式』が掲げられている

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    最澄寺の旭が森にある日蓮聖人銅像

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    清澄の大スギ

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    御仏舎利塔

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    最澄寺から眺める広大な国有林と太平洋

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    JR安房鴨川駅の路線図(外房線と内房線の両方の終着駅である)

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    鴨川潮さい公園

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    前原・横渚海岸

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