不動産を直接売り買いする人たちの掲示板「家いちば」

家いちば見聞録

雄大な海浜と野菜畑が広がる“鉾田”のスローライフに何を見るか

茨城県鉾田市|メロン日本一の田舎町に残る開拓者たちの物語 家いちばでは毎日のように、全国の物件の契約書を作っている。私も、それらすべてに目を通すことを日課しているが、ある日、「おや?」と思った。鉾田市の物件の契約書が2件立て続けに回ってきた。それだけでも珍しいことなのだが、しかもいずれも「井戸水」「未登記」だった。偶然にしては出来過ぎている。どういうことなのか、自分の目で確かめてみたくなった。そういえばちょうど、メロンの季節ではないか。 メロン産出額日本一の鉾田市 鉾田市はメロンの産地として有名だが、その産出額は全国でも群を抜いており、2位を大きく引き離して日本一を誇る。ちょうど収穫の最盛期を迎えた週末ということもあって、メロンの直売所は大賑わいだった。広い駐車場には警備員が何人も立ち、売り場には様々な品種のメロンがずらりと山積みになっている。どれも見るからに新鮮で、都内で見かけるものよりひと回り大きい。それでいて値段はずっと手頃だ。 そして何より驚いたのが、メロン味のソフトクリームだった。買うために長い行列ができている。1本千円以上もするソフトクリームだ。もう少し出せばメロンが1個買えるではないか。しかし、行列さえなければ私も買っていただろう。梅雨時の蒸し暑さの中で食べる、上品な甘さのメロンアイスはきっと格別だ。結局、私は1玉2千円のクインシーメロンを買って帰ることにした。 鹿島灘を一望できる海浜公園 人混みに疲れたので、海を見に行くことにした。鹿島灘海浜公園は、広い無料駐車場を備えた県営公園だ。芝生広場の先には展望台があり、そこからは鹿島灘を一望できる。さらに砂浜へ向かう森の中には、全長1キロほどのボードウォークが整備されている。 海はとにかく広かった。砂浜はよく締まっていて歩きやすい。釣りを楽しむ人、ビーチパラソルの下で海を眺める人、サーフボードを抱えて波を待つ人、ジョギングをする人。それぞれが思い思いの時間を過ごしている。車でそのまま海辺近くまで来ることができるのも、この場所の気楽さだろう。 海辺の土地は誰のもの? そうやって歩き回っているうちに、ふと呼び止められた。よく日焼けをした、どこか海辺らしい雰囲気の男だった。 「ここに車を停めていますか?そうでなかったら、通り抜けは禁止なんですよ。ここは私の店なので。」 事情はすぐに理解できたので、頭を下げて元来た道を戻った。しかし、少しだけ引っかかるものもあった。県営の駐車場と海との間にある土地だ。そこを通らないと、砂浜へ出るにはかなり大回りになる。ここは公共の場所なのだろうか。それとも本当に私有地なのだろうか。 「あとで登記簿を調べてみよう。」 そんなことを考えながら歩いているうちに、すっかり海を見る気も失せてしまった。私は内陸へ向かう小道を歩き出した。森を抜けると、その先には静かな集落が広がっていた。 陸軍による買収の歴史と開拓者たち 集落内の小さな道の両側には塀が続き、その向こうには立派な瓦屋根の古い屋敷がいくつも見えた。おそらく、公園が整備されるずっと前から、この地で暮らしてきた人々の家なのだろう。その傍らの小さな墓地に石碑が建てられていた。「公園墓地開設の歩み」と題されたもので、公園整備に伴う用地買収や、それ以前の基地建設にまで遡る地元と行政との交渉の歴史が簡単に記されていた。先ほど私を呼び止めた男の顔がふと頭に浮かんだ。 歴史をひも解くと、こうだった。元々この一帯は、砂丘地帯に点在する農地だった。それが太平洋戦争中、陸軍の航空拠点建設のために強制的に買収されたという。戦後になると、今度は引揚者や開拓者たちが呼び寄せられた。海沿いの砂地で、水にも恵まれない。決して農業向きとは言えない土地だ。それでも人々は鍬を振るい続け、荒れ地を野菜が育つ畑へと変えていった。そうして苦労の末に築き上げた土地に、今度は国や県によるリゾート開発構想が持ち上がる。なるほど、この土地に対する地元の人の複雑な思いが少し理解できた。 新旧の2つの“鉾田駅”に挟まれた街 しかし、そのような鉾田の歴史と、メロンの名産地となった今とは、どのような関係があるのだろうか。私は鉾田の中心市街地に行ってみた。そこには鹿島臨海鉄道の新鉾田駅がある。「新」があるなら、旧もあるはずだ。しかし、最初の「鉾田駅」はもうなくなっていた。それは新鉾田駅から徒歩で10分以上離れた場所に、かつて存在していた。今ではホームの痕跡だけが雑草に覆われて残されている。西の石岡から伸びる鹿島鉄道の終着駅として、戦前から戦後にかけて鉾田の玄関口だった駅である。しかし2007年に廃線となり、その後しばらくはバスターミナルとして機能していたものの、その路線バスも2年前に廃止されてしまった。一方の「新」のほうも、列車は現在1時間に1本程度だ。休日の昼間にもかかわらず駅前は静かで、利用者減少の厳しさを感じさせた。 ゴーストタウン化しつつある街並み 「新町」と名の付く交差点が、かつての繁華街の中心だったのだろう。洋品店、化粧品店、製氷店などの看板が並んでいるが、人通りはほとんどない。「宝来多座」とのネオンサインが残る大きな建物が目に入った。かつての映画館で、この地域の娯楽の中心だった場所だという。東日本大震災を機に閉館し、大正時代から続いた歴史に幕を下ろした。商店跡と思われる建物もいくつも残っている。厳しい言い方をすれば、ゴーストタウンになりつつあるようにも見えた。街の中心には鉾田川が南北に流れている。後で調べると、この川は度々氾濫を繰り返しており、市街地の多くが浸水想定区域となっているという。こうした水害リスクも、中心市街地の衰退に少なからず影響しているのだろう。 鉾田の長い苦労の歴史 「メロン生産日本一」という輝かしい名誉と、一方での市街地の廃墟化とのギャップが妙に気になった。それで、その名も「メロンロード」を車で走ってみた。すると、目に飛び込んできたのが豪華な農家住宅だった。まるで寺院かと見間違うほどの大きな瓦屋根と、それを支える凝った木造建築。相当にお金がかかっていることは間違いない。メロンが「儲かる」とでも言いたいのだろうか。 しかし、その背景には長い苦労の歴史があった。鉾田がある鹿島台地は、平らな土地が広がる一方で、水を引くことが難しかった。そのため水田には向かず、農業条件は決して良くなかった。戦後、この地に入植した多くの開拓移民たちは、荒れ地を耕しながら生活の基盤を築いていった。 一方で、鉾田川沿いの低地は度重なる水害に悩まされてきた。江戸時代には東北と江戸を結ぶ舟運の要所として栄えたものの、明治以降に交通の主役が陸運へ移ると、その役割も失われていった。 メロン栽培に最適となった奇跡の土地 そうした苦労の末にたどり着いたのが、メロンだった。鉾田の地は、奇跡的とも言えるほどメロン栽培に向いていた。鹿島灘と北浦という海と湖に挟まれた独特の地形によって、夏の暑さが和らぎながらも適度な寒暖差が生まれる。さらに日照時間が長く、水はけの良い土壌にも恵まれていた。美味しいメロンを育てるための条件が、この土地には揃っていたのである。しかも東京という巨大な消費地が近かった。高級メロンを新鮮なまま届けることができた。 そこへ追い風となったのが、ビニールハウスの普及だった。かつて高価なガラス温室でしか作れなかったメロンを、より安価に大量生産できるようになったのである。鉾田ではその可能性にいち早く賭け、多くの農家が挑戦した。そうして不毛の台地は、いつしか日本一のメロン産地へと姿を変えていった。 “メロン御殿”は地元の誇り これら執念と根性こそが、鉾田農家のフロンティアスピリットだったのではないだろうか。かつてアメリカの西部開拓者たちは、その成功の証として立派な家を建てた。鉾田の農家住宅を見ていると、それを思い出す。地元では「メロン御殿」と呼ばれているらしい。もちろん、敬意を込めてだ。 ただ単に見栄を張るためだけではないだろう。農家では家族3世代で働くことも珍しくない。さらに商談や来客対応の場としても使われる。都市部の住宅とは求められる役割そのものが違う。そう考えると、あの巨大な瓦屋根も単なる豪邸ではない。農業経営の拠点であり、家族の歴史そのものなのだろう。 「未登記」と「井戸水」の正体 私が最初に抱いた疑問の答えも、少し見えてきた。鉾田では、こうした壮麗な農家住宅が地域の象徴となっている。一方で、別荘や農作業小屋のような簡易な建物については、「わざわざ登記するほどでもない」という感覚があったのかもしれない。もちろん、あくまでも私の推測である。 水道についても同様だ。市内に点在する農家へ上水道を整備するのは容易ではなかった。昔から井戸を掘り、生活用水をまかなってきた歴史がある。しかも、この地域の地下水は質が良い。豊富な地下水を自由に使える環境では、わざわざ水道を引く必要性も感じなかったのだろう。 農業が強すぎたゆえの「超・車社会」 その豊富な地下水のおかげなのだろうか。市営の温浴施設「ほっとパーク鉾田」では、コーヒーのような黒褐色の温泉に入ることができる。肌にまとわりつくような湯で、旅の疲れがよく取れた。露天風呂では、地元のじいさんたちが大きな茨城弁で談笑していた。 「盆と正月さ、いっぺんに来たみてえだっぺ。」 どうやら、メロン直売所へ向かう車で道路が渋滞していて、その様子を見て笑いが止まらなかったらしい。皆、よく日に焼けていた。農家の人たちなのだろう。 湯船に浸かりながら、昼間に見たメロン御殿や静かな駅前の風景を思い出していた。ひょっとすると、鉾田の豊かさは最初から駅前には向いていなかったのかもしれない。ちょっとした買い物や娯楽なら、車ですぐに水戸へ行ける。高速道路を使えば東京も近い。メロンで生み出された富は、駅前の商店街を経由することなく、直接大都市へとつながっている。そんな鉾田の姿が、湯気の向こうにぼんやりと浮かんで見えた。 受け継がれる“フロンティアスピリット” 再び中心部に目をやると、新鉾田駅の近くに奇妙な建物が見えた。ガソリンスタンドのようでありながら、どうやらカフェになっている。雰囲気はまるでアメリカのロードサイドだ。店内には「ルート66」の写真が並び、ホットドッグがメインメニューになっていた。廃墟ばかりが目につく鉾田の市街地で、このようにリノベーションされた店はまだ珍しい。そこには、どこか開拓者精神のようなものが感じられた。 店主が鉾田の歴史を意識して、このようなコンセプトにしたのかどうかは分からない。しかし私は勝手に納得していた。不毛の台地を切り拓いた開拓者たち。メロン御殿を築いた農家たち。そして、役目を終えたガソリンスタンドを新しい場所として生まれ変わらせた店主。時代は違っても、その根っこにあるものは同じように思えた。 北浦に消えた舟運の面影 最後に、北浦湖畔にある安塚公園へ行ってみた。川のように細長くありながら、流れもなく静かな水面。その北浦を見下ろす位置にログハウスがあった。その「環境学習施設」と書かれた建物に入ってみると、案内人が中から出てきた。どうも、人が来たことで驚いたような素振りだった。 「ここは何があるのですか。」 「何もありません。」 私は思わず笑った。確かに、室内には野鳥の写真が飾られ、ピアノと椅子と本棚が並んでいるだけだった。しかし話を聞くと、かつてはもっと展示物があったという。夜間のいたずらなどもあり、少しずつ減らしていったらしい。そして、この建物も近いうちに取り壊される予定だという。いつもなら「もったいない」と言う私だったが、この時は、それでもいいと思えた。ずっと昔の、積み荷でいっぱいの小舟がたくさん往来する北浦の姿を想像していた。

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    JA特産物直売所「サングリーン旭」

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    売り場に積まれたメロン

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    フォレストパーク「メロンの森」では、メロン狩りも楽しめる

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    鹿島灘海浜公園

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    大竹海岸でサーフィンを楽しむ人たち

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    海岸沿いには立入禁止の私有地もあるため注意

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    海沿いの集落

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    鹿島臨海鉄道「新鉾田駅」

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    商店街のようす

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    市街地を流れる鉾田川

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    廃墟となったボウリング場

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    閉館となったままの映画館「宝来多座」

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    鉾田駅周辺の廃墟化した建物群

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    鉾田駅跡のホームだけが残る

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    金刀比羅神社では、四国讃岐の金比羅宮から神様を勧請

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    金刀比羅神社から市街地と北浦の眺め

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    ビニールハウスが並ぶ光景

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    メロン栽培をするビニールハウス

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    ガソリンスタンドを再利用したホットドッグの店「キャノンボール」

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    対岸が近くに見渡せる北浦

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