復興の跡に静かに存在感を示す「震災遺構」となった建物と町並み
2011年に津波をともなう甚大なる地震の被害を受けた東北の太平洋沿岸地域も、あれから10年以上が経ち、多くの町で道路などのインフラもひと通り復興し、日々の活動を取り戻しています。 自然の力に対して人間は無力 私自身、地震から4か月後に、津波の被害のあった沿岸部を北から南まで車で3日間、見て回りました。まだ、津波が引いた跡の水たまりも残っているほどの頃で、一体は何処も戦争後の焼け野原のような状況でした。特にボランティアでもなく、写真を撮って回るだけの旅でした。それでも、この「教訓」を目に焼き付けておきたいという一心でした。 震災後の被災地の状況(筆者撮影) https://www.dropbox.com/scl/fo/u7xx5jiibmyc00ecgr7my/AGqmjNKEBLtxIiRuMF4Ak5g?rlkey=vxnqr13x8vy9op5wboymcgful&dl=0 この光景を見て感じたのは、「自然の圧倒的な力に対して人間は無力だ」ということでした。分厚い鋼鉄できた堤防門が粘土細工のように捻じ曲げられてたりと、津波の破壊力の凄まじさです。津波で浸水したマンションは5階部分の窓ガラスまで粉々に破壊され、見上げるほどの高さまで津波が来たことが信じられないくらいでした。想像すらできないことが、実際にこの場所で起こっている。そう、想像ができない。だから、このままだと、この恐ろしさをすぐに忘れてしまう。そういう危機感も感じました。 この教訓を後世の人々に伝える それから十数年、同じように感じた人たちの力で、被災地域に「震災遺構」と呼ばれる施設が整備されてきています。そのひとつである「石巻市震災遺構門脇小学校」は、津波後の火災で教室などが丸焼けになった当時のままに残され、見学路も整備され、教師や生徒たちが助け合い奮闘しながら避難場所まで這いずり上がった生々しい記録も展示され、胸を打つものになっています。 石巻市震災遺構門脇小学校 https://www.ishinomakiikou.net/kadonowaki/ 震災伝承施設一覧(伝承ロード推進機構) https://www.311densho.or.jp/introduction/ これを見ると、広島の原爆ドームを思い出します。原爆ドームも、保存するか解体するかの議論がありました。不幸な出来事の象徴である建物をもう見たくもない、という人々の心情も理解できます。しかし、この教訓を未来の人たちに残すことの重要さを考えての英断であったと思います。東北の震災遺構も、原爆ドームのようにこれから世界中の人が訪れることになる場所となっていくことでしょう。 残された町の苦悩 さて、震災遺構とは言わないまでも、津波被害からの破壊をまぬがれ、かろうじて生き残った建物や町並みも各所に現存しています。しかしながら、復興の過程で内陸部に新しい街ができて多くの住民が流出してしまい、空き家が増え抜け殻のようになってしまった地区も各地にあります。これらのまち並みをこれからどうしていくのか、ただ成り行きに任せてゴーストタウン化するのを待つのか、何か次の時代へのメッセージとして残していくのか、今を生きる我々に与えられた課題であります。 復興が進む「気仙沼」 そのひとつとして、気仙沼市(けせんぬまし)の港湾地域があります。気仙沼は古くからの漁業の町として有名で、現在でも主に遠洋漁業を中心に、日本の漁獲量に大きく貢献しています。しかしその気仙沼が、良港の条件の一つである入り組んだ海岸線が災いして、特に津波被害が大きかった地域のひとつにもなってしまいました。皆さんも、気仙沼の津波被害の映像をテレビで観ているのではないでしょうか。 その気仙沼も、地元の人たちの団結もあって、中心部の復興が大きく進んでいます。前回の地震と同規模の津波が来ることを想定したさらに頑丈な防波設備を、普通であれば海と陸地が堤防により完全に分断されてしまいますが、さまざまな工夫によって、街と湾岸の景観が一体となるように築かれています。国内でも珍しい土木構造物として、これだけでも観光名所になりそうなほどです。 しかし、課題はまだまだ山積みです。税金を投じた「箱」や公園などは整備されましたが、それらを中心とした街の賑わいを取り戻すにはどうするか、今まさにそこが問われています。 かつての港町の賑わいの名残り そんな気仙沼の港湾地区から少し山間に入り込んだ一角では、放置された空き家や空き商店のレトロな建物を何かに活用しようという動きが進められています。 気仙沼まちなかエリアビジョン https://kesennuma-daisakusen.com/vision かつてはこのエリアは港湾で働く人に向けた宿や料理屋などが軒を連ねていて、たいそう賑やかだったそうですが、今ではひと気のないゴーストタウンのようになっています。廃墟化寸前の家屋がいくつも点在しています。しかし、発想を変えれば、これが宝の山なのかもしれず、売り物件として家いちばサイトにも掲載されています(2024年10月現在)。 レトロ好きにはたまらない家、気仙沼の街を一緒に盛り上げませんか https://www.ieichiba.com/project/P202400644 三陸の漁師町のスナック街と大ホール、もう一度賑わいを https://www.ieichiba.com/project/P202400850 地域の「ストーリー」を受け継ぐ生き方を このような地域の歴史があってストーリー性の高い物件投稿は、家いちばらしい物件のひとつと言えます。家いちばというサイトは、皆さんが作り上げていくものです。ここで売られている物件を買ってそれをどうするのか、そこに皆さんの生きざまがきっと投影されることでしょう。そのひとつひとつの生きた証に大きな意味があるのだと信じています。 (家いちばコンサルタント 藤木哲也)
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