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家いちば見聞録

西伊豆の断崖絶壁に囲まれた陸の孤島“戸田”の美しさは何か

静岡県沼津市戸田|奇跡の良港が生んだ歴史と風景 年末年始は、東京の空が最も透き通る時期だ。こういう日は、富士山を見に行くのに限る。西伊豆スカイラインの入口、「だるま山高原」のレストハウスにある展望台は、日本一の富士山の眺望とも言われる場所だ。戦前のニューヨーク万博で日本政府がこの地で撮影した富士山の巨大写真が出品された歴史を持つ。 左右にすそ野が広がる絵に描いたような富士山 実際に立ってみると、その理由が分かる。そこには、絵に描いたような富士山がある。左右になだらかに均整の取れたすそ野が延々と広がり、手前には静かな海。この角度からは、宝永山の「窪み」がちょうど気にならないくらいになる。富士の北側に住む山梨県民が「山梨側からの富士が一番きれいだ」という主張にも、これなら対抗できる。もう少し東から見ると、今度は手前の愛鷹山が視界を遮ってしまう。この方角からしか得られない絶景なのだ。日本人、いや世界中の人がイメージする典型的な富士の姿であろう。 西伊豆スカイラインからの気持ちのいい眺め そこから南に走る西伊豆スカイラインは快適なドライブウェイで、しかも通行無料だ。箱根や伊豆のほかのスカイラインが有料なのとは対照的である。利用者が少なすぎて有料道路として成り立たず、最終的には静岡県が買い取ることになった。東京に近く、鉄道網も発達した東伊豆と比べると、西伊豆にはややひっそりした空気が漂う。 西伊豆スカイライン途中にある小さな駐車場も週末に関わらず空いていて楽に停められる。そこからは、駿河湾が見渡せ、遠くには南アルプスの山岳の雪渓がよく映える。私がそうやって、必死に写真を撮っているのを見ていたひとりのご婦人が、声をかけてきた。 「写真、お撮りしましょうか。」 私は照れながら、ポーズを取った。観光客みたいになった。その品のいいご婦人は、これからご主人と達磨山の山頂まで登るかどうかを迷っていた。 「何の装備もしてこなくて。」 指をさして、すぐそこの登山道から入っていけることを教えてくれた。何の装備もない私だったが、すぐに登ることを決めた。山頂から富士山を見たかった。しかし実際には、わずか10分ほどの視界のいい爽快なトレッキングだった。 山頂には、本格的な登山装備の人たちが大勢いた。車ではなく、もっと麓から登って来たのだろう。その苦労の末のこの山頂からの眺めは、最高のご褒美だったことだろう。先ほどレストハウスからみた「日本一」を超えていた。帰りの山道から眼下に小さな港町が見えた。戸田(へだ)だ。絶景の麓にあるその町に、何があるのか知りたくなった。 主要な交通路から取り残された場所 戸田の場所は、微妙なところにある。観光ガイド的には「西伊豆」エリアのひとつだが、西伊豆の南北を結ぶ国道136号は、土肥から内陸へと迂回する。そのため土肥より北側の戸田方面は、伊豆半島の主要な交通の流れから取り残されたかのような場所になっている。沼津市内から戸田方面に向かう県道17号線は、断崖絶壁と海の間のわずかなすき間を縫うように走る道路で、自動車のすれ違いも困難なほど道幅が狭い箇所も多く、大雨の際には土砂崩れで度々通行止めとなる。そうなると戸田は本当に「陸の孤島」となってしまう。 新たな道路を通す余地のない“西浦地区” 元々は戸田村として独立していた地域で、合併により2005年に沼津市の一部となったのだが、沼津のロケーションのイメージからはだいぶ外れる。沼津市街地から戸田へ向かう途中には、かつては西浦村だった地区がある。ここでは斜面にみかん畑が広がり、川沿いのわずかな平地には集落が点在する。そのため、新たな道路を通す余地はほとんどない。わずかな土地を苦労して開墾して、守ってきた地元の人の歴史がある土地だ。 西浦を走る海沿いの県道も狭いが、眺めはとてもいい。奥駿河湾越しに富士山がきれいに見える。しかし、ちょっと車を停めるような場所がほとんどなく、通り過ぎるだけになっていてもったいない。駐車スペースのように見える場所でも、漁業関係者用の土地だったりする。積極的に観光客を呼び込もうという雰囲気ではなさそうだ。 ダイビングで有名なパワースポット“大瀬崎” 大瀬崎まで来ると、やっと大きな駐車場がある。ここはダイビングスポットとして有名な場所だ。12月の真冬でもダイビングショップが営業しており、多くのダイバーがいた。大瀬崎は、伊豆半島の北西の突端に鍵状に突き出した砂嘴の岬だ。東の沖合には、すぐ日本一の深さを誇る駿河湾の深海が広がる。こうした地形条件が、透明度の高い海を生み出している。伊豆にはほかにもきれいな海があるが、下田などの南伊豆は波や風の影響を受けやすい。大瀬崎はこの岬が波を受け止め、また、大きな川が付近にないため、濁流が流れ込むこともない。だからこそ、真冬でも多くのダイバーが集まるのだろう。 この岬は、不思議なパワースポットでもある。岬の真ん中には大きな「神池」がある。周囲を海に囲まれているにもかかわらず真水の池で、鯉などが泳いでいる。しかも、その科学的な原因は分かっていないという。隣接して大瀬神社があり、ここは神域とされ、詳しい調査ができないためらしい。さらに池の周囲にはビャクシンの原生林が広がる。これも世界的に珍しい光景とのことだ。もちろん、海溝や富士山の存在、伊豆半島の特異な地質など、特殊な条件が重なって生まれた現象なのだろうとは思う。しかし、それだけでは片付けられない、何か神がかったものを感じさせる場所でもある。 岬に守られた静かな入り江が美しい港町 そして、この大瀬崎と同じ形状の岬が戸田にもある。戸田に向かう途中の「出逢い岬」から街を見下ろせば、一目瞭然だ。御浜という岬に守られて静かになっている入り江に白い漁船がたくさん浮かんでいる。小さな街は両側に切り立った山々に囲まれている。夕刻だった。水面がやや赤みがかり、ガラスのような淡い色彩を帯びていた。 その展望台には外国人の観光客もいた。フランス語らしき言葉が聞こえた。感嘆するように息を漏らしながら、何か懐かしいものを眺めるような表情だった。フランスにそういう場所があるのかは、私は知らない。けれども、自然と人々が寄り添って暮らす風景に世界共通で感じるものがあるのかもしれない。 御浜岬にも神社がある。諸口神社で、海に向かって佇む赤い鳥居が絵になる光景だ。岬の内側と外側では、波がまったく違う表情を見せる。不思議な感覚だ。自然の地形というものの偉大さを思う。そして、ここから眺める港の景色がとても美しい。神に護られているかのような安らぎがある。平和がある。 沈没したロシア軍艦の乗組員が帰国するための船を造る この岬公園内に、戸田造船郷土資料博物館がある。ただの郷土資料館ではない。戸田が、日本近代造船の発祥の地だったのだ。幕末、日露和親条約の交渉のために来日していたロシアの軍艦「ディアナ号」が、安政東海地震による津波で大破し、のちに沈没するという事故があった。地元の人々が懸命に救助し、乗組員全員が助かった。その後、ロシア人乗組員たちはしばらく戸田に滞在し、帰国するための船を地元の大工たちと一緒に建造したのだ。当時の日本には本格的な洋式船の建造技術がまだなかった。しかし戸田の大工たちは、ロシアの本格的な設計図を基に、当時最先端だった洋式造船技術を学びながら、日本初の本格的洋式帆船をこの戸田で作り上げた。 なぜ、戸田の地が選ばれ、この小さな漁村で日本初の快挙が成し遂げられたのか。戸田は昔から陸路では孤立しやすい一方で、海上交通には向いていた。なおかつ、岬に守られた天然の良港で、江戸時代には伊豆石の積出港として栄えていた。そこで和船の製造技術も培われていた。さらに、江川太郎左衛門がいた。日本にペリーが来る前から西洋の科学技術や軍事、測量を学んでいた官僚で、韮山の反射炉の建造にも携わった人物だ。彼が戸田の現場を全面的にバックアップした。 日本の近代造船はここから始まり、その後の歴史を築く そして村人たちもそれを支えた。そもそも小さな漁村に500人近い外国人がやってきて、またたく間に食糧難となった。それでも人々は自分たちの食料を減らしてまで、ロシア人たちに温かい食事と衣服を提供した。ロシア側が、最高機密である軍艦の設計図を日本人に公開したのも、そういった背景があったからに違いない。こうして日本に本格的な洋式船の建造技術が伝わり、その後、江戸幕府は戸田の船大工たちに命じて、「ヘダ号」と同じ船を10隻造らせた。日本における本格的な洋式船の量産が、ここに始まったのである。 ヘダ号は、日露友好の象徴でもあった。しかし、そこでロシアから学んだ造船技術は、後に日本で飛躍的に発展し、やがて世界最強級の軍艦まで造るようになる。そしてその日本海軍が、日露戦争でロシアのバルチック艦隊を打ち負かしてしまうのだった。歴史の皮肉というものだ。 漁港が目の前の宿に泊まる そんな壮大な歴史の流れとは裏腹に、今の戸田港はとても静かだ。今夜は、漁港に面したゲストハウスに泊まることにした。古いビルをリノベーションした宿で、目の前はすぐ波止場という抜群のロケーションである。そして、港に面したロビーがそのままレストランバーになっていた。 チェックインを済ませ、そのままクラフトビールを注文する。黄昏時の入り江を眺めながら飲む一杯は格別だった。宿の人に話を聞くと、三島との二拠点生活をしながらここで働いているという。この宿の企画・運営を手がけているのは、沼津や東京で活動する建築家らしい。それだと三拠点ということになるが、リノベーションのデザインなどを見ていると、たしかに「東京」の匂いを感じる。今は、そういう人たちが衰退しつつある地方に新しい風を吹き込んでいる。暗くなってくると、食事をしにやって来た地元の人たちで、静かだった店内が賑やかになってきた。 夕方にはお店が閉まってしまう戸田の街 ここで夕食でもよかったが、やはり魚介が食べたかった。せっかくの港町だ。宿の人に聞いて、近くの有名店に向かった。 「けど、もう閉まっているかもしれません。」 まだ夕方の5時過ぎで、日が沈んだばかりだった。どうやら戸田では、店が5時には閉まってしまうらしいのだ。調べると、その店は6時まで営業しているようだった。私はすっかり暗くなった戸田の町を歩いた。明かりの灯る店も街灯も少なく、辺りは真っ暗だった。 しばらく歩いて、その店にたどり着いた。店はやっていた。私は意気揚々とのれんをくぐった。 「あら、もう閉店なのよ。お魚がなくなっちゃって。」 私の落胆した顔を見て、おかみさんも気の毒に思ったのだろう。代わりの店を探してくれることになった。おかみさんが取り出したのは、双眼鏡だった。 「あ、あそこの店なら今日はやってるみたい。」 なにせ、小さな入り江に並ぶ小さな商店街だ。視界の届く範囲に生活のすべてが収まっている。先ほど御浜岬で感じた安らぎとは、こういうことだったのかもしれない。 二拠点・多拠点にふさわしい町とは 翌朝、宿のラウンジで朝食をとりながら、ふとカウンターの本棚に置かれた雑誌に目が止まった。TURNS(ターンズ)という、移住やローカルライフをテーマにした雑誌だ。表紙には「二拠点・多拠点生活」特集と書かれていた。まさしく戸田にぴったりだと思った。そして、よく見ると、その表紙を飾る人物に見覚えがあった。 ——家いちばの買主さんではないか。 もう何年も前のことで、懐かしさもあった。その人が購入したのは山梨の山奥の物件だった。しかし今、私は海の目の前にいる。ふっと笑いが込み上げた。こうやって雑誌などを通じて、いろんな人の活動を目にすることができる。そして刺激を受ける。海もいいけれど山もいいと思うかもしれない。逆もあるだろう。つながらないものが、頭の中でつながった瞬間だった。よい年越しを迎えられそうだ。

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    だるま山レストハウス展望台からの眺め

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    西伊豆スカイライン

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    達磨山山頂までの登山道

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    達磨山山頂

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    西伊豆スカイラインから戸田を見下ろす

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    西浦地区の古い建物の町並み

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    大瀬崎のダイビングショップ

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    透明度の高い大瀬崎のダイビングスポット

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    大瀬神社の鳥居

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    大瀬崎神池

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    大瀬崎のビャクシン樹林

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    出逢い岬からの御浜岬(右)と戸田漁港(左)

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    戸田造船郷土資料博物館

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    造船資料館に併設された駿河湾深海生物館

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    御浜岬からの戸田の港を見渡す

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    御浜岬の諸口神社の鳥居

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    Tagore Harbor Hostelのラウンジ

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    戸田漁港の夕焼け

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    戸田の街

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    宿で見つけた雑誌

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