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家いちば見聞録

昔から“よそ者”を引き寄せてきた富士山麓の港町、沼津の魅力とは

静岡県沼津市|明治時代からの別荘文化がこの街を育んできた 私は、はじめて行く土地では、まずできるだけ高いところに上ってそこから街を見下ろしてみることにしている。山の上から街の骨格を眺め、次にどこへ行くかを考える。この手順を踏めば、その街の「見どころ」をたいてい外すことはない。 上から見た沼津の街 沼津にはちょうど、香貫山という小高い山が中心部にほど近い場所にある。頂上までは登山道が続き、地元では「沼津アルプス」の一部として親しまれているようだ。実際に歩いてみると、高齢の方から子どもまで、地元の人がごく当たり前のように山登りを楽しんでいた。 わずか200mほどの低山ながら、山頂の展望台からの眺めに息を飲んだ。眼下には沼津の街並みが広がり、合間には狩野川が縫うように流れ、その奥には弓なりに伸びる駿河湾の海岸線。右手には愛鷹山とその背後に鋭角の頂をひっそりとのぞかせる愛らしい富士、左手には静かな内浦の入江とそれを囲む北伊豆の山並み。 沼津の自然の「大きすぎない大きさ」 海も川も山も、そして街も、すべてが巨大すぎることがなく、手に届く大きさと言えばよいのか、すなわち、優しさを感じる。そうやって、この街に魅了された人たちは歴史をさかのぼれば数知れないのだ。 御用邸の地として選ばれる まずその筆頭は、旧御用邸の存在だろう。明治時代となり、東京で暮らす天皇家の健康を考えた宮内庁は、その静養の地として沼津を選んだ。事前の調査で沼津の気候が温暖であることが分かっており、かつ風光明媚な環境もふさわしいと考えた。日本の近代医学の基礎作りに貢献したドイツ人医師、エルヴィン・ベルツ博士も、この地を強く推薦した一人である。沼津御用邸は各地の御用邸の中でも最も早い時期に開設したものだ。 郷里への思いをはせた明治の軍人たち 御用邸に先んじて、大山巌や西郷従道など明治の元勲らがこぞってこの地に別荘を構えていたという経緯もある。興味深いことに、その多くが薩摩出身の軍人であった。想像の域を出ないが、西南戦争で官軍を指揮した大山巌などは、故郷に戻りづらくなった身をこの地に寄せ、沼津の風景を鹿児島のそれと重ねたのではないか。静かな内海に佇む富士と、錦江湾に浮かぶ桜島が、どことなく似ている。 奇跡的な海の美しさと穏やかさ 千本松という広大な松林が広がる海岸に行ってみると、そこは砂浜ではない。丸い小さな石ころが自然によって敷き詰められた海岸だ。これは、富士川が運んできた川石が長い時間をかけて海底から打ち上げられて堆積してきたこの海岸独特のものだ。砂が入らないから靴で気軽に散歩できる。広い海岸線が丸ごと市民の遊び場となっている。 それに、波打ち際の海の水の透明度にも驚く。砂利の浜であることも理由だろうが、それだけではない。富士山に降った雨や雪が、長い年月をかけて地下を潜り、海底から直接湧き出る伏流水。そして、日本一深い駿河湾の海洋深層水。これらが混じり合い、浄化されることで生まれる透明度は、自然による一つの「奇跡」と言ってもいい。 そして、波も意外なほど穏やかだ。同じく太平洋に面した九十九里浜や相模湾などサーフィンをするような海と比べてみるとよく分かる。沼津あたりは、ちょうど伊豆半島が防波堤のような役割を果たし、駿河湾の中でも、ここだけ穏やかなのだ。もっと西寄りの富士市あたりにまで行けば、波がもっと荒々しくなる。 伊豆半島は、台風の暴風までも和らげてくれる。さらに、街の東端には沼津アルプスが屏風のように囲んでいる。地形的に、これだけの好条件が重なる場所はそうそう他にないだろう。 この地に移住して幸福な晩年を過ごした歌人 若山牧水という、明治・大正期を代表する歌人もまた、沼津を深く愛した一人だ。宮崎に生まれ、早稲田大学を出て東京で文壇活動を続けていた牧水だが、その暮らしは決して平穏なものではなかった。心身の疲れ、そして家族の健康。それらを立て直すための新天地として彼が選んだのが、この沼津の地であった。田園生活に入ることで、自分と家族の生活を立て直そうと考えた。そして、ここを拠点にしてからの彼の仕事は安定し、人生で最も幸福な時期を過ごしたという。牧水はついにこの地を離れることなく、ここでその生涯を全うした。 「千本松原」を後世に残す使命 そんな牧水の元に、沼津の海を象徴する「千本松原」の伐採計画が飛び込んできた。自らの人生を救ってくれたこの地の美しさが損なわれることを、牧水は断じて許さなかった。彼は新聞への寄稿などを通じて猛然と反対運動の先頭に立ち、ついに計画を撤回させた。そのおかげで、今の美しい松林がある。 千本松原にはもうひとつ逸話がある。戦国時代の戦乱ですべてが切り払われ、潮害に苦しんでいた農民たちの姿を見て、立ち上がったのは一人の旅僧であった。増誉上人長円だ。彼は何年もの歳月をかけて植林を続け、絶望に暮れていた地に、再び数十万本の松を蘇らせた。その献身的な姿を知った江戸幕府も、これを手厚く保護することとなる。 牧水に長円。二人はともに、外からこの地に身を寄せた「よそ者」であった。しかし、いや、それゆえにか。この地の持つ価値を誰よりも敏感に感じ取った彼らは、そのあるべき姿を守り、育むという強い使命に突き動かされたのだ。 沼津の発展の基礎を築いた男の生涯 沼津で活躍した「よそ者」はこの二人だけではない。江原素六を忘れてははならない。江原に関しては、その功績を称える施設として沼津市明治資料館が建てられているほどの人物だが、彼もまたこの地の出身ではない。江原は東京新宿区で生まれ、幕末では幕府側として戊辰戦争で戦ったのち、維新後は明治政府の追及を逃れるために名を変えて、徳川家の移封とともに沼津に身を寄せたのが始まりだった。 そのうち、旧幕府軍関係者としての経歴が認められるようになり、陸軍局の仕事に従事し、「沼津兵学校」の設立に携わることになる。幕府の遺産を継承したその高度な教育内容は、明治政府すらも一目置くほどで、全国から優秀な人材がこの地に集った。廃藩置県によって兵学校そのものはわずか3年で消滅してしまうが、そこで育った人材は中央へと供給され、のちに日本の近代化を支える大きな力となったのである。 江原の功績はそれだけに留まらない。金融業や産業の振興、さらには愛鷹山の払い下げや学校設立に奔走し、現在の沼津の発展の基礎を築き上げた。その後、中央の政治家として東京に活動の地を移してからも、正月には必ず沼津の邸宅に帰って来ていたという。 “退廃的”小説家の原点はここに もう一人、沼津に縁の深い「よそ者」を挙げておこう。太宰治だ。自殺未遂など度重なる失意の底にあった太宰がある知人の勧めで沼津に滞在することになり、この地で「思ひ出」を執筆した。これが太宰の名を知らしめることとなった処女作であり、作家活動の原点となった。そして、太宰の晩年の傑作である「斜陽」は、沼津の三津にある安田屋旅館で書かれたものだ。これらが「太宰は沼津が生んだ」と言われるゆえんとなっている。沼津の気候や自然、人の温かさなどが太宰を救ったとも言える。 全国屈指の「アニメの聖地」へ 太宰が執筆した安田屋旅館は、国の登録有形文化財にも指定され、市内で数少ない歴史建造物として今も大切に守り継がれている。この古い旅館は今、アニメ「ラブライブ!サンシャイン‼」の主人公の実家のモデルとして、新たな「聖地」の顔を持つようになった。 今やアニメは地域振興の切り札として欠かせない存在だが、沼津ほど成功した事例は稀だろう。制作スタッフがこの地を舞台に選んだ理由は、海と山に囲まれた美しい景観、そして何より、地元の人の温かさに魅了されたからだという。旅の僧、明治の元勲、宮内庁、清貧の歌人、失意の小説家。時代も背景もバラバラな彼らは、不思議と皆、同じことを言うのだ。 沼津の中心市街地へ足を踏み入れると、街全体が心地よいほどに「ラブライブ!」の色に染まっている。ポスターや看板はもちろん、足元のマンホールに至るまで。そこには「協力するならとことんまでやる」という、この街の人々の清々しいほどの潔さが溢れているのだ。 沼津の市街地の盛衰はいかに 人口17万人で、年々その数を減らし、新幹線駅としては三島市に譲り、人口では富士市に抜かれ、数あった百貨店は軒並み閉店してしまった街ではあるが、昭和な雰囲気が残るアーケード街の仲見世通りを中心に、まだ賑わいを感じられ、飲み屋も多い。特に、雰囲気のあるオーセンティックな「BAR」が数多く見られるのもこの街の特徴のひとつとなっている。かつて政財界の要人たちによる“別荘族”と呼ばれた人々が求めた洗練された社交場が、時代を超えて今も街の止まり木として残っている。これもまた、よそ者が持ち込み、この地に根付かせた文化だ。 私が訪れた時は昼間だったので、バーはあきらめて一軒のカフェに入った。洗練された外観と内装は、東京都心でもなかなか見かけないほどだ。豆を農園の名前から選ぶスタイル。注文してしばらく待つと、ワイングラスに注がれたコーヒーが運ばれてきた。 歩き疲れていた私は、甘いものが欲しくなりチーズケーキも頼んだ。供された皿の端には、真っ白な塩が添えられている。どうやら、これをつけて食べるらしい。スイカに塩を振るようなものか、と半信半疑で口に運んでみると、これが驚くほどうまかった。 私の表情を察してか、ドリップの手を休めた店主が静かに語り始めた。 「それ、沖縄の離島で採れた塩なんです。神が宿る塩と言われていて。友人が島に移住して、そこから送ってくれるんですよ。」 なるほど、オーセンティックだな。そして、そう語る彼自身も、きっとこの街においては“よそ者”なのだろう。けれどもそうやって、この街は新旧のよそ者たちを受け入れ、より洗練されていく。今度は、夜に来よう。

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    御用邸の内部

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    香貫山からの沼津市街地の眺め

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    香貫山は沼津アルプスハイキングコースとして整備されている

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    千本浜の海

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    千本松原

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    港にある巨大水門「びゅうお」

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    沼津漁港

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    駅前のビル

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    仲見世通り

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    アーケード内の「ラブライブ!」の看板

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    シャッター街となっているエリアも

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    狩野川沿いのテラス

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    かつての舟運で栄えた名残り

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    市内の各所に史跡の説明書きがある

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    バーの街をPR(展望台びゅうお内の展示)

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