不動産を直接売り買いする人たちの掲示板「家いちば」

田舎図鑑

甲府豊富村
山梨県中央市
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都内から1時間半ほど、八ヶ岳・富士山、南アルプルなど、山々に囲まれた山梨県のほぼ中央に位置する、山梨県中央市(旧豊富(とよとみ)村)で生まれ育ちました。 かつては養蚕業が盛んにおこなわれ、日本一の生産を誇るっていた時期もあり、「シルクの里」と称されています。私が小学生の頃は、数件養蚕農家があり、通学路に桑畑が点在し、帰り道に友人と「桑の実」を食べながら帰っていたのを思い出します。今では、「とうもろこし」が人気の特産品になりました。毎年旬の時期には「道の駅とよとみ」で収穫祭などのイベントがあり、開店前から行列ができるほどの人気です。この時期になるとあたり一面はとうもろこし畑になり、実家の玄関先には近所の生産者の人からとうもろこしが届きます。採れたてのとうもろこしの粒のハリと大きさ、濃厚な甘さは生でも食べられるほどの新鮮さです。 大学進学で地元を離れるまでは、何もない不便な田舎から早く都会に出たいと思っていましたが、今では当時は気づかなかった、都会では味わえないたくさんの魅力を感じています。春には道端の至るところに色とりどりの花が咲き、秋は綺麗な星空の下で虫の声の大合唱、ゆっくりとした時間が流れています。 自然に囲まれたのんびりとした暮らしでありながら、車ですぐにコンビニや大型のショッピングモールがあり、都内へも1時間半ほどの距離、二拠点生活や移住にもおすすめの場所です。 程よい田舎の山梨県豊富地区にぜひ一度魅力を感じに来てみてください。
みちのく福島
福島県福島市
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とにかく人が良いです。おっとりした性格、人に優しい人が多く、地元の人に触れ合うと心がなごみます。近年餃子の店が増え、密かに餃子の街になろうとしているようです。都市としては、県庁所在地の割に発展しておらず、市政が下手。人口がなかなか増えないです。3.11の影響も当初はあったものの、今は特に影響が無くなり、地元の人は普通に暮らしています。良くも悪くも、昔からあまり変わらない街。山に囲まれた盆地で、北国なのに夏は暑い。冬の積雪はあまり積もらないものの、寒さは厳しいです。建物としての風景は新しくなりつつも、それに伴う街の賑わいは穏やかなまま。現在、福島駅西口、東口共に駅前の再開発が始まっていて、これが起爆剤になって活性化して欲しいところです。東北唯一の競馬場となる福島競馬場があり、飯坂温泉、土湯温泉、高湯温泉、福島市中心部から車で30分以内で行ける個性豊かな温泉が3つもあります。
小樽
北海道小樽市
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“食・緑の宝庫” 生まれ育った土地。20歳で離れはや60年。年に1度程度帰るが、帰る度に想う青い海、花や木々の緑、そして食の宝庫。特に食はどれも美味しく安い! 運河沿いの食堂街は観光地化され、食べ物は高く、不味いが、市内の市民御用達の食べ物は安く旨い。 例えば南樽市場N鮮魚店のサーモンや鮨天婦羅の魚S真の寿司や天丼。市民御用達K原蒲鉾店など安い、旨い、ボリューム満点! 是非小樽訪問の際は、運河観光だけではなく、市内のお店を訪ね、その安さ、美味しさ、ボリューム感を味わって欲しい。ノスタルジック大正・昭和感が色濃く残る街。雪が降り坂が多い町だが、隣ニセコの喧騒に比べ、落着き静かに過ごせる町。雪が降るからいい、坂があるからいい、高台の住宅地は眼前に広がり、津波の心配がないのがいい、と言う価値観が異なる人もいる。
山形川西町
山形県川西町
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母の実家でよく祖父母に会いにこの町に行っていました。春休み、夏休み、冬休みによく行っており、上野駅まで祖母が迎えに来てくれていました。祖父母はとても私に甘く、欲しいものは何でも買ってくれました。今では立派な甘えん坊です。冬は過酷な雪があり雪国独特のさび色のアスファルトが町中にありますが、夏には花火大会、花笠祭り、獅子踊があります。大人になってから見ることができていませんが、今でも頭の中に笛の音、太鼓の音が流れてきます。この獅子踊が小さい頃は怖かった思い出があります。衣装が綺麗なのですが顔が見えなくてどこか不気味なんです。祖父のバイクの後ろに乗り山を登ったのもいい思い出です。祖父は自転車店を営んでいたのでよくその仕事ぶりを見ていました。 町の人がみんな優しいところが大好きです。フルーツ、ラーメン、米沢牛、温泉、私が好きなものがすべてそろっています。 川西町の羽前小松駅に猫駅長「ショコラ」がいます。とても大人しく可愛いです。あとは山形と言えばラーメンです。夏に出る冷やしラーメンが最高です。
栄区上郷町
神奈川県横浜市栄区上郷町
3,500
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現在の家内と離婚危機に直面していた時期流れ着いたのが横浜市中区で、一年半ほど暮らしましたが仲直りし東京に戻ってからも横浜のことが気になり、人も良いし食べ物も美味いしまた横浜の土地に関わりたいと思っていた矢先、家いちばさんのサイトを知りまして、横浜の土地を扱っていましたので気にしていましたが3ヶ月程してもまだ掲載していたのでダメ元で応募しましたらなんと私に売っていただけるとのことで小躍りしましたが、何故かと言うと60歳手前で今後どう生きれば良いか目標を見失い掛けていた時期でもあるので救われた気がしました、 購入した土地はほぼ傾斜地で前所有者が利用価値を見出せなかったか手付かずの荒地でしたが2年ほど掛けて地道に整備しましたらプライベートのキャンプ場として使えるようになりました、 将来的には会員制のこじんまりしたものであるとか、バッグパッカーなど外国人受け入れる格安のキャンプ場として機能すれば良いなどと叶うかわからない夢を空想して楽しんでいます。私が購入した土地は、最寄りJR線駅下車徒歩19分、鎌倉まで4キロ4駅で、湘南江ノ島まで10キロの好立地ですが、地元町内の規律もそこそこ厳しいです、それゆえ治安が保たれています、 土地再生に際してお悩みの方いらっしゃればコンサル業務請けますので家いちばさん介してご連絡ください、当方建築士です。
甲州鰍沢
山梨県富士川町
3,460
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青く広い空、櫛形山や南アルプスから流れ込んでくる澄み切った空気、そして甘くてごくごく飲める湧き水や井戸水、私はこのような自然豊かな富士川町(旧鰍沢町)でのびのびと育ちました。幼少期は近所の子たちと日が暮れるまで走り回り、本当によく遊びました。家の近くには今でも同級生のお友達の田んぼがあり、湧き水がこんこんと湧き出ています。当時はお腹がすいたら桑の実を採っては湧き水で洗い、お友達と楽しく食べたものでした。梅雨の季節には、ホタルが舞いました。夜空を見上げながら母と手を繋いでお散歩し、流れ星に願いを込めた日のことは今でも鮮明に私の心に刻まれています。富士川町(旧鰍沢町)は歴史的にも軌跡を辿れる、情緒のある町です。江戸時代、静岡県まで流れる富士川を中心に、富士川舟運という舟によってとても栄えた要所でした。車社会となってからは、だんだんと町の賑わいも少なくなってしまいましたが、今でも要所の名残りから、役所関係はかつての船着き場の地域に集約されています。 そんな町の中で一番盛り上がる季節は、春です。桜百選に選ばれている「大法師公園」の桜祭りには、毎年観光バスが列をなします。子供の頃、親戚と行った夜桜の花見の時、私の持っているコップの中に桜の花びらがひらりと舞い落ちました。幼いながらもとっても嬉しくて、花見の季節になると今でも必ずその光景を思い出し、懐かしさを感じます。 あれから何十年という時が経ち、合併から町の様子もだいぶ変わりました。道の駅「富士川」は、帰省時に必ず立ち寄る場所の一つとなっています。毎年隣町で開催される神明の花火大会は県下一大きい花火大会なのですが、富士川町内や道の駅も大変活気づきます。道の駅の芝生広場に寝そべりながら、夜空に打ち上がる大輪の花を夜風を感じながら眺める時間は、ここでしか味わえない最高に贅沢なひとときです。 最近では、テレビやネットニュースなどで町への移住者の話題も目にします。私も人生の折り返し地点です。あ~、また早くおいしい空気と水が飲みたいです。青く広い空を見上げ、夜には窓から月を眺めながら眠りにつきたいです。何か少しでも恩返しができればと、色々と思ったり考えたりする日々はこれからも続いていきます。
甑島(こしきじま)
鹿児島県薩摩川内市下甑町
1,121
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仕事で甑島に行くことになり、それまでも数多くの田舎に足を運ぶ機会はあったのですが、船で行くような離島は初めてでした。薩摩川内からフェリーで1時間半の船旅となり、正直不安しかありませんでした。事前情報としてその島が「Dr.コトー」のロケ地だということくらいでしたが、なおさら不安になりました。要するに、僻地を絵にかいたような場所ということ。僕は、昔の薩摩藩の時代から小舟で統治してきたことを思い出し励ますことにしました。ところが、フェリーが思いのほか最新式に見え、すっかり安心して甲板からの眺めを楽しみ、幸いに波はきわめて穏やかな日で、イルカの群れに遭遇し、そして時間が止まったような水面の「凪」も見て、神秘的な思いでした。東京からはるばる鹿児島の外れの港まで飛行機とレンタカーでやってきて、そこからの船旅。やっとのことたどり着いた島は、山脈のように高く目の前にそびえたっていました。仕事で役場の人にいろいろ世話になって、というか、わざわざ現場まで来てくれて、人情なのか、単に暇なのか分からなかったものの、とてもありがたかったです。宿の食事は魚介を使った素朴なもので、隣にいた常連客に聞くと毎日同じ料理らしい。その常連に凪の話をすると、荒れる時は船がひっくり返るほどになると脅され、あまり島に長居をしないことにして本土に戻り、そして次の日の雨の朝、ホテルを出るところのスロープで転倒をして足首を骨折するという災難に。ひとまずその右足を引きずりながら東京に戻り、全治3ヶ月の松葉杖生活となる。これでしばらく出張もできなくなり、幸いに仲間のおかげでしのぐことができたものの、会社をひとりで回さずに人を雇って組織化していこうとする転機となりました。これも甑島の神秘のひとつだったのかもしれません。
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