不動産を直接売り買いする人たちの掲示板「家いちば」

田舎図鑑

母との思い出・七ヶ宿町
宮城県七ヶ宿町
1,840
0
もう30年以上も前の高校生だったころの思い出。 母は六十歳を迎える前に他界した。記憶に残る面影は、あの頃のまま。 気づけば、いつの間にか自分がその年齢に近づいている。 女子高生だった私は、仲の良い友達4人と、七ヶ宿町横川の橋のふもとで芋煮をした。 母は車で私たちと食材、鍋を川辺まで運び、近くの親戚の家へ向かった。 なかなか火を起こせず困っている私たちを、気が付いたら母が助けに来てくれた。 川辺にある木の皮や小枝を集め、あっという間に火をつけたあの時の母は、まるで魔法使いのようだった。 帰りはバスで帰る予定のはずが、通りがかりのトラックに乗せてもらうという、今では考えられない体験もした。 無線で話す運転手さんに夢中で質問したあの時間は、古い映画のワンシーンのように懐かしい。時は流れ、七ヶ宿町には「BOOK&CAFE こ・らっしぇ」というカフェと図書コーナーを兼ねた建物ができ、隣には湯けむりの立つ入浴施設もある。若い人が働き、コンビニにはおじいちゃんやおばあちゃんが買い物に訪れる。世代が交わる風景に、ほっとする。 宮城と山形の県境、江戸時代には参勤交代の大名が宿泊した宿も残る町。時代とともに人の流れは変わっても、自然の美しさと人の温かさは変わらない。 あと百年後、この町はどんな姿になっているのだろう。 私の中の七ヶ宿町は、母との思い出と高校生の無邪気な時間が重なり、一生忘れることはない。 好きなところ:自然豊かでのんびりしているところ。 イマイチなところ:野生動物が道路脇にいてびっくりすること。
甲府豊富村
山梨県中央市
4,514
2
都内から1時間半ほど、八ヶ岳・富士山、南アルプルなど、山々に囲まれた山梨県のほぼ中央に位置する、山梨県中央市(旧豊富(とよとみ)村)で生まれ育ちました。 かつては養蚕業が盛んにおこなわれ、日本一の生産を誇るっていた時期もあり、「シルクの里」と称されています。私が小学生の頃は、数件養蚕農家があり、通学路に桑畑が点在し、帰り道に友人と「桑の実」を食べながら帰っていたのを思い出します。今では、「とうもろこし」が人気の特産品になりました。毎年旬の時期には「道の駅とよとみ」で収穫祭などのイベントがあり、開店前から行列ができるほどの人気です。この時期になるとあたり一面はとうもろこし畑になり、実家の玄関先には近所の生産者の人からとうもろこしが届きます。採れたてのとうもろこしの粒のハリと大きさ、濃厚な甘さは生でも食べられるほどの新鮮さです。 大学進学で地元を離れるまでは、何もない不便な田舎から早く都会に出たいと思っていましたが、今では当時は気づかなかった、都会では味わえないたくさんの魅力を感じています。春には道端の至るところに色とりどりの花が咲き、秋は綺麗な星空の下で虫の声の大合唱、ゆっくりとした時間が流れています。 自然に囲まれたのんびりとした暮らしでありながら、車ですぐにコンビニや大型のショッピングモールがあり、都内へも1時間半ほどの距離、二拠点生活や移住にもおすすめの場所です。 程よい田舎の山梨県豊富地区にぜひ一度魅力を感じに来てみてください。
横浜
神奈川県横浜市
8,786
2
大学入学で田舎から出てきて一人暮らしを始めた若かりし頃の思い出の詰まった街であり、大学卒業後はいったんは東京に引っ越したもののまた横浜に戻って家を買い、通算で20年以上住んできたまさしく第二の故郷です。とはいえ、昔からくらべると良くも悪くも変わってしまったところも多い進化し続ける大都市であり、その意味で、あまり深い愛着はなく、僕が好きなのはひと昔前のヨコハマかもしれません。「港町ヨコハマ」と言われますが、港っぽい雰囲気があるのは広大な市域のごくわずかであって、大部分は郊外の内陸部で、僕が住んでいるのもそんな一角です。崖地や階段が多く、ちょっといけば畑が広がるような場所もあります。人口370万の世界的な大都市ですが、その田舎っぽさがむしろ好きです。緑豊かな大きな公園や動物園、ショッピングセンターなどが市内に豊富にあり、住むのには本当にいい場所です。 観光としては、今はみなとみらいに一極集中という感じです。たしかによく整備された海沿いのプロムナードを徒歩や自転車で散策するとよい休日を過ごせます。赤レンガ倉庫、象の鼻パーク、大さん橋、山下公園、港の見える丘公園、元町と散策スポットがずっと続きます。かつてはこれら港湾エリアのほとんどが立入禁止となっていて、夜中に忍び込んで遊んでいた頃が懐かしいです。赤レンガ倉庫なんかは、至るところがペンキで落書きをされて治安の悪い感じの場所でした。そんな廃墟が今や観光のシンボルとなっていることに感慨深いものがあります。
嬉野温泉
佐賀県嬉野市
3,575
1
嬉野市は、佐賀県西部に位置し、豊かな自然と1300年の歴史を誇る嬉野温泉で知られています。西九州新幹線の開通により、福岡や長崎からのアクセスも格段に向上しました。嬉野でのライフスタイルとして、嬉野温泉は、島根県の斐乃上温泉、栃木県の喜連川温泉と並んで『日本三大美肌の湯』として知られており、日々の疲れを癒すことができます。 温泉街には、様々な旅館やホテルがあり、湯巡りを楽しむことができます。 また、「シーボルトの湯」では、温泉とマッサージに加え、周辺のお店からの出前も楽しむことができます。お茶の文化に触れる、嬉野市は、お茶の産地としても有名です。 「チャオシル」では、目の前に広がるお茶畑を眺めながら仕事ができる喫茶コーナーがあり、嬉野茶を味わうこともできます。 古民家カフェでくつろぐ、「D-COFFEE」は、築100年以上の古民家を改装したカフェです。 千葉県から移住した夫婦が経営しており、自家焙煎コーヒーやアレンジコーヒーを楽しむことができます。ワーケーションの拠点として、嬉野市は、温泉や自然に囲まれた環境で、仕事と休暇を両立させる「ワーケーション」の拠点としても注目されています。 温泉旅館である「和多屋別荘」では、ワーケーションプランを提供しており、客室以外でも仕事ができるスペースが多数あります。 また、公共のフリーWi-Fiスポットも充実しています。嬉野での暮らしを支えるものとして、充実した子育て支援があり、嬉野市は子育て世代にとって、安心して暮らせる環境が整っています。 医療費助成は高校卒業まで、保育料は第2子半額、第3子以降無料など、手厚い支援制度が用意されています。 また、待機児童もありません。 移住者へのサポートとして、嬉野市では、移住希望者向けに様々な支援制度を提供しています。江戸時代末期に建てられた古民家を利用したお試し住宅があり、3泊4日から移住体験をすることができます。「住む塩田津」では、お試しサテライトオフィスを利用することができます。嬉野市には9種類の移住応援金があり、移住者の方の状況に合わせて利用することができます。空き家バンクでは、すぐに住める家から、改修が必要な家まで、様々な物件が登録されています。 空き家バンク利用促進補助金も用意されています。 アクセスの良さとしまして、西九州新幹線の開通により、嬉野市は、九州各地からのアクセスが格段に向上しました。福岡市まで、JR博多駅から西九州新幹線を利用すれば約1時間です。長崎市まで、JR長崎駅から西九州新幹線を利用すれば約25分です。武雄温泉駅まで、JR武雄温泉駅から嬉野温泉駅までは、西九州新幹線で約7分豊かな自然と、 温かい人々に囲まれたこの街で、 自分らしいライフスタイルを体験してみませんか。きっと、 心も体も満たされる、 特別な時間になるはずです。
山梨市
山梨県山梨市
2,357
0
甲府盆地は、言うまでもなくぶどう、ももなどの果樹栽培が有名で、行ってみると至る所が果樹畑となっています。通常、田舎といえば田んぼの風景を思い出しますが、ここはそれとはまったく違った風景です。そして、背後には北も南も、山々がそびえ立っていて、それらにいつも見守られているような安心感があります。山梨市にある空き家の持ち主に会いに行く機会があり、訪ねてみると、立派な家というほどではなかったものの、こじんまりときれいにしてあり、特に目を見張ったのが、クラシックのレコード収集と大きなスピーカーを備えたオーディオセットでした。窓の向こうには果樹園が広がり、ここでブラームスでも大音量で聴いてみたいと思いました。地元の人がよく行くようなお店でお昼を食べると、この土地の大地の恵みを感じます。県名を冠した市であるが、県庁所在地でなく、人口もかなり減って3万人くらいの小さな町です。それでも豊かさを感じます。東武鉄道を興して「鉄道王」と呼ばれた根津嘉一郎の出身地で、市内に根津記念館という旧家と美しい庭園が残されていて、かつては甲州財閥と呼ばれ、明治から大正にかけて中央財界に大きな影響力を与えたものです。その過去を思うと、今のひっそりとしたこの地域のようすが拍子抜けのように思えます。すり鉢のような形をした地形であるため、少し斜面を上ると、どこからでも盆地全体の夜景を眺めることもできます。そこから生まれる一体感も、この土地の心地よさになっていると思います。
京丹後
京都府京丹後市
5,931
3
京都府北部地方に位置する京丹後市、みなさんがイメージする京都とは全く違う世界が広がっています。山々や海の大自然に囲まれ、冬の寒さは厳しく、降雪量の多い年は1.5mほど積もります。私が小さい頃は、家の前でよくかまくらを作って遊んでいました。天の橋立、伊根の舟屋地点から丹後半島をぐるりと一周ドライブすると、総距離100kmほど、くねくねと曲がりくねった細い断崖絶壁の道路から眺める袖志の棚田や、海の絶景三昧で、まるで日本のアマルフィー海岸とも呼ばれているそうです。夏には京阪神からたくさんの海レジャー客が訪れます。冬は、間人(タイザ)ガニを求めて、観光客が海沿いの旅館に押し寄せます。間人ガニ以外も海の幸は豊富で、雌のこっぺガニ、白イカ、夏牡蠣、トリガイ、伊根マグロ等、四季を問わず海のご馳走に溢れています。 趣味でサーフィン、魚釣り、盆栽、メダカのお世話、畑仕事に明け暮れる日々です。田舎暮らしは、スマホを見る時間がないほど大忙しです。太陽が昇り、夕日が沈む海を眺めたり、土いじりをしているその瞬間が楽しくて、人は大自然の恩恵を受け生きているんだな~、と実感させられます。 京丹後は1300年前の奈良時代から織物業が盛んでした。丹後ちりめん、西陣織、町を歩くと、あちこちの家から機織り機の音が聴こえてきます。今は後継者不足でどんどん減ってきているようです。風物詩は、昔から続く各町村の秋祭りです。赤ちゃんから大人まで参加型の、お囃子、神楽、神輿、三番叟、太刀振りの伝統を受け継ぎながら楽しみな行事となっています。 京都市内まで車で3時間半ほど要していましたが、近年、京都縦貫道が開通したことにより1時間半ほどで往来可能でとても便利になりました。今後は、観光、海や山のレジャーなどが楽しめる町となり、子供たちが元気いっぱい自然を体感できる地域になれば良いな、と密かに願っています。もうすぐ50歳ですが、ど田舎の京丹後で生まれたことを、今では誇りに思っています。
石巻
宮城県石巻市
2,547
1
石巻に懐かしい思い出があります。妻と知り合って最初の旅行で、年越しドライブに松島方面を目指し、当時、アメ車のオフロード車に乗っていたものだから、好きこのんでひと気のない林道に入り込み、しかし日本の林道に米国製は不向きであったようで、あえなく路肩で車輪が空回りしスタック。まだ携帯電話が普及する前の時代、救援を呼ぶ手段もなく、そのうち雪が降り出し、いそいで麓まで歩いて下り、見知らぬ民家の戸を叩き、図々しく電話を借りることができました。その時の家主のあばあちゃんが温かいストーブとお茶でもてなしてくれたことが忘れられないです。JAFが来るのは明日となり、雪がやまなければ最悪は春まで待つことになるかもしれないということで、意気消沈して、仕方なく街に出てひと晩過ごすことにしました。その街がたまたま石巻だったのです。旅の予定になかった出来事で、鄙びた旅館にやっとのこと空いている部屋を見つけ、散々な思いで、しょうがないから飲み歩こうと夜の石巻の街を妻と半ばやけくそに練り歩きましたが、それがどうしようもなく笑えてしまい、この人となら苦楽を共にできそうだと感じました。結婚を決意した瞬間でした。あれから30年ほどが経ち、その間に大震災などもあり、久しぶりに訪れてみると記憶にある当時の街並みとだいぶ変わってしまったようで、しかし、羽黒山に上る階段に当時の名残りを見ました。津波被害が著しかった海沿いの一帯は、街が完全に消え去り、現在は公園としてはかなくも美しく整備されていることに心を打ちました。石巻に出会えて、ほんとうによかったと思います。
FAQ
よくある
ご質問