両親がセカンドハウスで楽しんできましたが、手離すことに決めました

兵庫県姫路市

昭和47年、趣味が菊、さつき、盆栽の父が、将来、四季を感じられる庭を自ら作りたいとこの土地を購入しました。トラック20台以上の土を入れて土作りを一から始め、春一番のマンサクを皮切りに、水仙・梅・ボケ・福寿草・梅・シャクナゲ・芝桜・さるすべり・山茶花など、早春から冬まで何かしらの花を楽しめるように植えていました。また、雑草対策に植えたサツマイモが大豊作、知人にも大好評で、想定外であった野菜作りも無農薬で始めました。同時に、コツコツ作業して1DKの小さな家をDIYで建ててしまいました。勿論、引退した大工さんはじめ沢山の友人にお手伝いいただきました。家ができてからは、好き勝手な事ばかりして、と文句を言いながら母も時々は、こちらで一緒に過ごしておりました。 父は、50歳を目前に病に冒されて手術し、その後入退院を繰り返しておりました。入院中にもう長くは生きられない、残りの人生を好きなところで過ごしたいと決心し独断で家を建てました。昭和58年の事です。ある日、新しい家と車庫がすでに完成していて大変驚いたのを覚えています。早期退職した父は、一度も住むことは無かったのですが、毎朝庭の手入れをするため通っておりました。どんどん体調は良くなり、手術後再発せずに5年を無事に迎えることができ、この土地と家のお蔭を頂きました。母も一緒に滞在するようになり、二人で季節の移ろいを楽しんでおりました。ミミズを見ただけで悲鳴を上げていた母が、当時まだ珍しかったハーブとブルーベリー栽培に目覚め、さくらんぼ、すもも、梨、林檎、無花果など果樹栽培にはまり、小型冷蔵庫全てブルーベリージャムで占領される事もありました。父は植木と野菜、母は果樹園と花、自然に担当が決まっておりました。私も子供連れで毎週のように行き、野菜の収穫・いちご狩り・蛍狩り・魚獲り・鮎つかみ・焚火の焼き芋作りなどを楽しみました。 1995年の阪神・淡路大震災後、半壊のマンションから私達家族5人で約2年間移り住みました。長男次男はこちらの小学校に入学し、学校帰りにつくしを摘んだり、庭のカモミールでお茶を飲み、おやつは庭の果物。熟れ具合を毎日見て食べ頃を測っていました。友人から届く朝掘り筍や、父が作ってくれる庭の無農薬野菜などの贅沢な食生活を送っておりました。父の手作りの家の時は、地下水を使用しており、口に含むと変な味がして、お風呂のタオルは変色しておりました。徒歩圏内に有名な塩田温泉がありますので、地下水の泉質は塩田温泉と近い物であったのかもしれません。現在は上水道完備されていて、ポンプの名残はありますので、自宅で毎日温泉も可能かもしれません。当時は、すぐ近くの町営温泉へ通っていました。子供達は、手作りサッカーゴールで、暗くなっても電気を点けて庭でボールを蹴ったり、用水路では魚獲り、夢前川では投げ釣り、池では鯉釣り、少し上流の夢前川では飛び込みや川遊びも堪能。雪彦山までのサイクリングやハイキングも。庭の柿で干し柿を作り、地元の方に、しめ縄作りを教わったり、秋祭りにも参加。庭での焚火はお手の物で燻製作りも。まさに遊びは無尽蔵!!予期せぬ震災に伴う転居でしたが、2年間の経験は子供達のかけがえのない財産となりました。 神戸に戻った後、和室の畳替え、洋室のフローリングのリフォームし、セカンドハウスとして父は皆勤賞だと言って母と楽しんでおりました。また、息子が高校生の時、軽音楽部の合宿もいたしました。『生きるという事は苦しいな』とまで弱音を吐くほど一時は病状が思わしくなかった父が、長くは生きられないという本人の予想に反して80歳近くまで、それも土と触れながら生き生きと人生を全うできたのは、この糸田との縁があったからだと思っております。約半世紀、両親がともに歩んできた土地家屋を、今回やっと母が手離す決心をいたしました。是非、この土地家屋を人生のパートナーとしていただける方に引き継いでいただきたいと願っております。どうぞよろしくお願いいたします。 【物件概要】 場所:兵庫県姫路市夢前町糸田 土地:1185.59㎡ 建物:住居 86.60㎡(昭和58年築)     車庫 42.00㎡ (余裕で2台駐車可能です。     また、奥の壁一面には作り付けの棚がありますので、 庭仕事の道具は勿論その他、沢山収納できます。) 構造:木造瓦葺平屋建 電気 プロパンガス 上下水道 現況:空家

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周辺風景

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