売りました体験談
思い入れのある大切な家でした
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成人まで育った実家、内見で丁寧に欠点を説明しました、買い手様と信頼関係構築の収穫がありました
親が他界して空き家になった実家に15年ほど3~4日/月のペースで通い、家屋の管理と敷地に隣接する原野を利用した家庭菜園を楽しんでいました。しかし子供たちが将来的に引き継ぐ可能性がないこと、また自宅から車で1時間と頻繁に通うには遠過ぎることや高齢になって作業も負担になってきたため売却を決めました。そこで数年前に地元の不動産業者に相談したところ売却できる可能性は低いと言われ諦めかけていたのですが、「家いちば」のサイトを見つけ、もしかして興味を抱いてくれる買主さんがこのシステムを利用して現れるのではと思い掲示板にアップしました。 掲示板の閲覧者数が1か月で2万件近くに達し、ネットの力の凄さと潜在需
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地元の枠を超えたネット掲載のおかげで新たな家族のもとへ、亡くなった母も喜んでくれたでしょう
一人暮らしをしていた母が亡くなり、まだまだ居住可能な家が空き家となってしまいました。兄妹ともに独立し各々家庭をもっており、生家で暮らすことができない状況のなか、遠方から空き家を管理していくことが困難なため売却しようと考えました。家は長年暮らしていたので、家財道具はもちろん家電製品などは古くなったものは新しいものに買い替えたりしていましたし、母がきれい好きな性格だったこともあり、古いながらも綺麗な状態の家でした。 商談まで4件の問い合わせがあり、中には具体的なものも複数ありましたが、商談が成立した買主様は購入の目的がより具体的でした。私が遠方のため、実家近くの親戚のものからサポートを頂きながら
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両親が大事にしていた別荘、人柄も良く色々な話も弾み何より別荘を大事に使って下さる様子だったので、その方に決めました
両親が大事にしていた別荘を受け継ぎ、十数年守ってきましたが年に2~3回しか行く事ができませんでした。まだ別荘が老朽化しないうちに、大事に使って下さる方が居れば譲りたいと思っていましたが具体的には考えていませんでした。コロナの為外出制限が出されていたこの時期に家いちばのサイトに出会い、最初は試しにというような気持ちで投稿しました。投稿してから間もなく何人もの方から連絡を頂きびっくりしました。最初はどのように交渉してよいかわからず、家いちばの方にアドバイスを頂きました。連絡頂いた方から質問が多かった事柄と写真を追加し、現地に行ける日を指定しました。その日来られた方が、人柄も良く色々な話も弾み何より
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三十年来の愛着がある空き家、このまま朽ち果てさせるのはと考えてたところに引き受けてくださる方がいました
三十年来空き家になっており、自分が高齢化し現住所とも離れており、管理が難しくなりました。しかし、家には愛着がありこのまま朽ち果てさせるのはしのびなく、引き受けてくださる方がいればと考えました。 町の空き家登録に申し込み、家いちばさんのお世話になりました。物件は相続登記がされていなかったため、その手続きから始まり長時間かかりました。その間、係りの方にはずっと寄り添っていただき、不安なく過ごすことができました。買い手の方とは、電話やメールでやり取りし、古い建物を有効活用していただけることがわかり決めました。思い切って家を売ることを決心し、今は無事に売買が完了しましたのでとにかくほっとしています。
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母と共に育った故郷が、新しい家族の憩いの場となることが嬉しいです
実家の母が施設に入り、空き家になって2年経った頃に母が亡くなりました。後に住む人がいないので売却を考えました。築50年でしたが、途中でリフォームをしていた為まだまだ住める状態でした。しかし、郊外の過疎化が進んだ場所だった為、売れるのか不安でした。 複数の方に内覧をしてもらい、本当に住んでもらいたいと思える方に出会い、その方に買って頂けました。不動産の取引はよく分からず不安でしたが、家いちばの方がアドバイスをくれたり、進め方を教えてくださり契約もスムーズに行えました。 実はダメ元で掲載させて頂きました。地元の不動産屋さんには難しいだろうと言われていたからです。でも、掲載後すぐに全国の色々な方
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福島の震災後、避難指示は解除されましたが戻る気になれず、空き家にしていた家が売れました
東日本大震災直後の原発事故で近隣市町村の住民に国から避難指示が発せられ、浪江町の自宅はそのまま放置して着の身着のままで家族で大阪市に避難しました。仕事がら自分が生きている間には、震災前の状態に戻ることは無いと確信し、避難先に居を構えて定住しました。そしてあの日(平成23年3月11日)から6年も経過した平成29年3月31日午前0時に帰還困難区域を除き避難指示は解除されました。※震災前の放射線管理基準の約4倍に引上て。解除日から既に2年が経過しましたが、住民の帰還率は低迷していると聞いています。ただ、そこに我が家が有る以上、管理責任や固定資産税からは逃れられません。精神にハンディを持った妻子に、そ
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週末山荘暮らしで充実していましたが、手放す決心をしました
山梨県上野原市に、22年前に山荘を借地に建てました。周囲は山林で、北斜面でしたが山野草が多く妻が気に入り、私は野鳥類が多いのでやはり建てることにしました。以後約22年間の週末山荘暮らしが始まったのです。椎茸の栽培、山野草の撮影、野鳥撮影等充実した時間が流れましたが、昨年妻が病気で倒れ、手放す気になりました。 しかし、手放す決心をしたものの、いざ買って頂く方を探す方法をどうしたものか、困っていました。地元の人たちは山の中に好んで住むという事に関心がありませんでした。幸いインターネットを使う事に慣れていたので、色々なサイトを調べてみましたが、借地で田舎の山荘を相手にしてくれる業者は皆無でしたが、
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主人の思いを大事にしてくださる方に引き継ぐことができ、今は本当にホッとしています
これ以上、遠く離れた土地と建物を維持管理するのは難しく、自身が元気なうちに譲りたいと思ったからです。ログハウスを中心とし、「いいな」と思える写真を選んでもらい、主人の思いを載せてもらいました。 買い手としては、主人の思いを引き継ぎ、川内村を気に入り、ログハウスを大事にしてくださる方に渡るといいなと思っていました。家いちばさんにお願いしてから数か月で事が進んだため、片付けなど手間取ってしまいました。少し骨は折れましたが、このぐらい短期間で進めることができてよかったです。買ってくださった方も私の思いにぴったりの方でした。今は本当にホッとしています。ウェブ掲載のご担当者さま、問い合わせのメールをつ
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家族で楽しんだ大切な家、まさか他の方にもこんなに気に入って使い続けられることを考えると嬉しくなります
週末住宅として家族4人で利用していた、山梨県の自然の中にある家を売りました。ずっと持っているつもりだったのですが、子供が中学生になり部活などで多忙となり、家族みんなではなかなか行けなくなってしまいました。「売れたりするのかな」と、かるーい気持ちで家いちばさんの掲示板に掲載しました。 掲示したところ、ありがたいことに、多くの方に質問や内覧希望等をいただきましたので、家いちばさんのご協力で予定を組んでいただき、あとは自分たちで、内覧会を2日間開催しました。肉体的には片付けなどでこのあたりが一番ハードでした。希望を出してくださった方々の中から買い手さんを選ぶ際は、みなさまお人柄もよく、誠意や
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病気でやむなく売ることに、現地でお会いして面接を行い人物を見て決めました
アトリエ梵という会社を経営しておりましたが、突然の大病を患い、やむなく会社を閉鎖しました。その後売却先を探していましたが、貴社のサイトを発見し、即座に申し込み、今回の成約に至りました。会社閉鎖から6年を要してしましました。第二に人生を「ものづくり」にかけて投資した設備でした。したがって売却先の選定条件として、当該設備を大切に使ってくださる方、モノづくりを愛している方(好きな方)を判断基準にしました。ですので、売却に当たっては問い合わせのあったすべての方に現地でお会いし、当方として「面接」を行いました。その結果「人物」を第一に考え、次に「価格」で売却先を決めました。売却に関しては、まずまずの感想