売りました体験談
思い入れのある大切な家でした
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勇気を出して投稿したところ、物件に新たな息を吹き込んで下さる、父が思い描いた方と巡り合えました
DIYが得意な父が購入後リフォームをし、楽しいアクティビティーの出来る施設にと思って長年保有しておりましたが、思うように時間が取れず長年経過し最終的に売却に至った物件です。前オーナー所有時はペンションで土地も建物も広い為、どこへ売却の相談をしたら良いか全く分からず、地元の不動産屋さんへ相談もしましたが長い間手付かずになっていたので、建物の痛みも酷くこのままの状態での売却は難しいと言われておりました。そんな中、前々から『家いちば』さんにはとても興味があったものの、家いちばさんのホームページからお問い合わせをするのに勇気が出ずしばらく迷っておりました。 そんなある日、思い切って家いちばさんへお問
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夫婦で手をかけた味のある家、良さを共有できる方に巡り合えました
2016年にこのお家を購入し、夫婦2人でフローリングを張り替え漆喰を塗りリフォームしたり庭を作ったりしました。思い出が詰まった家でしたが、また新たなところに引っ越しするために売却しようと考えました。コンパクトなお家で電化住宅のため即入居できる状況で、かっちりした家よりも隙間があったり少し歪んでいてもそれが味になる、そういった感覚が好きな人ならすぐに気に入ってくれる物件でした。ただ築年数はかなりあり水回りが老朽化しているのと、トイレが汲み取りと言うところが購入者様が気に入ってくれるかどうか不安でした。 普通の物件を探している方には、私たちの家はあまり魅力的ではないだろうと思い、どんな不動産屋さ
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田舎の店舗兼住宅が地元ではなかなか売れずにいました
父が田舎で家具店を経営しており、私の幼少期はこの店舗兼住宅で生活していました。その父は9年前に他界し、母は父が生前に建てたすぐ近くの住宅で一人暮らし、私は県内で別に所帯を持っているので、この店舗兼住宅の処分に困っていました。父がいなくなってからの3年ほどで親戚の方々にも手伝っていただいて店の商品や当時の生活用品を処分し、地元の不動産業者に賃貸もしくは売却を相談していましたがなかなか商談成立とならず、ここで思い切って価格を大幅に下げて広くいろんな方に告知したいと「家いちば」を利用することにしました。 それまでは年に数回、問い合わせと内見があるかないかぐらいの頻度でなかなか成約に至りませんでした
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家族で楽しんだ大切な家、まさか他の方にもこんなに気に入って使い続けられることを考えると嬉しくなります
週末住宅として家族4人で利用していた、山梨県の自然の中にある家を売りました。ずっと持っているつもりだったのですが、子供が中学生になり部活などで多忙となり、家族みんなではなかなか行けなくなってしまいました。「売れたりするのかな」と、かるーい気持ちで家いちばさんの掲示板に掲載しました。 掲示したところ、ありがたいことに、多くの方に質問や内覧希望等をいただきましたので、家いちばさんのご協力で予定を組んでいただき、あとは自分たちで、内覧会を2日間開催しました。肉体的には片付けなどでこのあたりが一番ハードでした。希望を出してくださった方々の中から買い手さんを選ぶ際は、みなさまお人柄もよく、誠意や
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福島の震災後、避難指示は解除されましたが戻る気になれず、空き家にしていた家が売れました
東日本大震災直後の原発事故で近隣市町村の住民に国から避難指示が発せられ、浪江町の自宅はそのまま放置して着の身着のままで家族で大阪市に避難しました。仕事がら自分が生きている間には、震災前の状態に戻ることは無いと確信し、避難先に居を構えて定住しました。そしてあの日(平成23年3月11日)から6年も経過した平成29年3月31日午前0時に帰還困難区域を除き避難指示は解除されました。※震災前の放射線管理基準の約4倍に引上て。解除日から既に2年が経過しましたが、住民の帰還率は低迷していると聞いています。ただ、そこに我が家が有る以上、管理責任や固定資産税からは逃れられません。精神にハンディを持った妻子に、そ
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三十年来の愛着がある空き家、このまま朽ち果てさせるのはと考えてたところに引き受けてくださる方がいました
三十年来空き家になっており、自分が高齢化し現住所とも離れており、管理が難しくなりました。しかし、家には愛着がありこのまま朽ち果てさせるのはしのびなく、引き受けてくださる方がいればと考えました。 町の空き家登録に申し込み、家いちばさんのお世話になりました。物件は相続登記がされていなかったため、その手続きから始まり長時間かかりました。その間、係りの方にはずっと寄り添っていただき、不安なく過ごすことができました。買い手の方とは、電話やメールでやり取りし、古い建物を有効活用していただけることがわかり決めました。思い切って家を売ることを決心し、今は無事に売買が完了しましたのでとにかくほっとしています。
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大いに利用してきた海を望む山の土地、希望者の動機を聞きながら入札方式で成約に至りました
双子の男の子の孫が生まれた時に自然に親しむ人間になってくれるようにと海を望む山の中腹に土地を買い、キャンプ場として大いに利用してきました。10数年経って千葉から那須に移住することになり、物件のある神奈川まで通いきれなくなって売却を決断しました。 キャンプブームということもあってか、15名以上の方から問い合わせがあり、対応できる人数に絞って内覧会を開きました。オークション方式では切がなくなりそうでしたので、入札方式にさせていただき無事成約に至りました。 思った以上の方々に興味を持ってもらい、また購入希望の動機についても知ることが出来たので、買主候補者を絞り込む時に参考になりました。ネットでの
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生まれ育った集落の実家、買主さんの協力もあり、安心して売却ができました
実家が空き家となったため売却することに。生まれ育った集落であり、落ち着いた生活をされる方が後に入っていただくことを念頭に、営農希望された今回の買主様を選択。反省としてはある程度のメンテナンスをしておくべきであったという点。今回の取引に関しては買主様が独自で家屋調査士に依頼し床下のシロアリ被害の有無や給排水の状況を確認していただけたため、安心して売却ができた。
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週末山荘暮らしで充実していましたが、手放す決心をしました
山梨県上野原市に、22年前に山荘を借地に建てました。周囲は山林で、北斜面でしたが山野草が多く妻が気に入り、私は野鳥類が多いのでやはり建てることにしました。以後約22年間の週末山荘暮らしが始まったのです。椎茸の栽培、山野草の撮影、野鳥撮影等充実した時間が流れましたが、昨年妻が病気で倒れ、手放す気になりました。 しかし、手放す決心をしたものの、いざ買って頂く方を探す方法をどうしたものか、困っていました。地元の人たちは山の中に好んで住むという事に関心がありませんでした。幸いインターネットを使う事に慣れていたので、色々なサイトを調べてみましたが、借地で田舎の山荘を相手にしてくれる業者は皆無でしたが、
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母と共に育った故郷が、新しい家族の憩いの場となることが嬉しいです
実家の母が施設に入り、空き家になって2年経った頃に母が亡くなりました。後に住む人がいないので売却を考えました。築50年でしたが、途中でリフォームをしていた為まだまだ住める状態でした。しかし、郊外の過疎化が進んだ場所だった為、売れるのか不安でした。 複数の方に内覧をしてもらい、本当に住んでもらいたいと思える方に出会い、その方に買って頂けました。不動産の取引はよく分からず不安でしたが、家いちばの方がアドバイスをくれたり、進め方を教えてくださり契約もスムーズに行えました。 実はダメ元で掲載させて頂きました。地元の不動産屋さんには難しいだろうと言われていたからです。でも、掲載後すぐに全国の色々な方