売りました体験談
思い入れのある大切な家でした
- 1983
- 0
病気でやむなく売ることに、現地でお会いして面接を行い人物を見て決めました
アトリエ梵という会社を経営しておりましたが、突然の大病を患い、やむなく会社を閉鎖しました。その後売却先を探していましたが、貴社のサイトを発見し、即座に申し込み、今回の成約に至りました。会社閉鎖から6年を要してしましました。第二に人生を「ものづくり」にかけて投資した設備でした。したがって売却先の選定条件として、当該設備を大切に使ってくださる方、モノづくりを愛している方(好きな方)を判断基準にしました。ですので、売却に当たっては問い合わせのあったすべての方に現地でお会いし、当方として「面接」を行いました。その結果「人物」を第一に考え、次に「価格」で売却先を決めました。売却に関しては、まずまずの感想
- 2484
- 2
大いに利用してきた海を望む山の土地、希望者の動機を聞きながら入札方式で成約に至りました
双子の男の子の孫が生まれた時に自然に親しむ人間になってくれるようにと海を望む山の中腹に土地を買い、キャンプ場として大いに利用してきました。10数年経って千葉から那須に移住することになり、物件のある神奈川まで通いきれなくなって売却を決断しました。 キャンプブームということもあってか、15名以上の方から問い合わせがあり、対応できる人数に絞って内覧会を開きました。オークション方式では切がなくなりそうでしたので、入札方式にさせていただき無事成約に至りました。 思った以上の方々に興味を持ってもらい、また購入希望の動機についても知ることが出来たので、買主候補者を絞り込む時に参考になりました。ネットでの
- 2963
- 10
江戸時代からの産業遺産を含めた売買でしたが、貴重な里山を守ってくれる方に出会えて今までの苦労が報われました
2022年9月始め、私は家いちばさんにこんな物件でも売れるのでしょうか?と恐る恐る思い出をテーマにお手紙を出させていただきました。と言うのは今回の件は単なる不動産売買だけでなく事業継承も含み、それも20年以上試行錯誤しながら進めてきた自然体験ツアーの継続、同時に江戸時代からの貴重な産業遺産、地域遺産を守っていただきながら・・と言うのが条件でした。多分家いちばさんにとっても前代未聞の難しい試みだったのではないでしょうか。私にとってはこんな物件を買ってくださる方がいるのか。家いちばと言う何か怪しげな名前の会社が仲介して大丈夫なのかしら?(笑)しかし蓋を開けてみると不安はぶっとび電話は鳴りっぱなしで
- 2595
- 1
インターネット上の不動産屋なだけあり、国内・海外からたくさんの問合せがありました
海外から種子島に移住を考えていた際、町長から「そこらへん歩いている人に空家あるか聞くといいよ。」と言われるほど不動産と管理物件が少なかった記憶があり、利用閲覧者が多く実際に評価の高い家いちばさんを利用させていただきました。 インターネット上の不動産屋なだけあり、近くの九州本土のみならず関東、ロンドン、カナダ、沖縄、北海道と非常に広範囲の方々に興味を持っていただけて、沢山の方がメッセージをくださいました。まずここの地域に馴染めそうだなと思った5人を選び内覧を開始したら全員購入希望でとても驚きました。最終的には心苦しいのですが入札方式にさせていただきました。 売りたくないほど大好きな家でしたが
- 1899
- 0
福島の震災後、避難指示は解除されましたが戻る気になれず、空き家にしていた家が売れました
東日本大震災直後の原発事故で近隣市町村の住民に国から避難指示が発せられ、浪江町の自宅はそのまま放置して着の身着のままで家族で大阪市に避難しました。仕事がら自分が生きている間には、震災前の状態に戻ることは無いと確信し、避難先に居を構えて定住しました。そしてあの日(平成23年3月11日)から6年も経過した平成29年3月31日午前0時に帰還困難区域を除き避難指示は解除されました。※震災前の放射線管理基準の約4倍に引上て。解除日から既に2年が経過しましたが、住民の帰還率は低迷していると聞いています。ただ、そこに我が家が有る以上、管理責任や固定資産税からは逃れられません。精神にハンディを持った妻子に、そ
- 1387
- 1
大好きだった祖母の家、こんなに早く取り引きが出来ると思っていませんでした
3年前まで祖母が住んでいましたが、他界後空き家状態となり、月に1度草刈りや部屋の掃除を行っていましたが下関市内に持ち家もあり、仕事の関係上、移住は考えていませんでしたので、どうしようか家族で考えている時に家いちばの存在を知りました。ネットでの不動産に多少は違和感もありましたが、もしかしたらと言う気持ちもあり、半信半疑で登録をしてみました。 私達も好きなお家でしたし、誰か気に入ってくれる方が居ないかと思っていましたが予想以上の反響もあり、商談を持ちかけてくれる方がたくさんいらっしゃり本当にびっくりしました。 こんな早く取り引きが出来るなんて、正直な所1ミリも思っていませんでした。家いちばの担当
- 1201
- 1
夫との想い出の場所、傾斜地でも気に入っていただける方と巡り会えました
夫が楽しんでいた土地で引き続き楽しんでもらえたらと思ったのがきっかけです。夫が亡くなってからは、一年に一度草むしりに行く程度でした。手を入れれば入れるほど良くなる場所なのでそのことをセールスポイントにし、業者さんに入ってもらって大きく伐採もしてもらいました。 気に入ってくれた人がいて本当に良かったです。 担当の方には、土砂降りにも関わらずわざわざ立会いに来てくださり感激しました。安心しておまかせできました。
- 1925
- 1
主人の思いを大事にしてくださる方に引き継ぐことができ、今は本当にホッとしています
これ以上、遠く離れた土地と建物を維持管理するのは難しく、自身が元気なうちに譲りたいと思ったからです。ログハウスを中心とし、「いいな」と思える写真を選んでもらい、主人の思いを載せてもらいました。 買い手としては、主人の思いを引き継ぎ、川内村を気に入り、ログハウスを大事にしてくださる方に渡るといいなと思っていました。家いちばさんにお願いしてから数か月で事が進んだため、片付けなど手間取ってしまいました。少し骨は折れましたが、このぐらい短期間で進めることができてよかったです。買ってくださった方も私の思いにぴったりの方でした。今は本当にホッとしています。ウェブ掲載のご担当者さま、問い合わせのメールをつ
- 915
- 0
30年以上誰からも見向きもされなかった土地が、必要とし活かしてくれる人に巡り会えて感無量です
父より昭和の終わり頃に、田舎の土地の贈与を受けましたが、私は遠方に住んでいるため、使い道もなく、また管理も十分にできないため、売ろうと思い不動産屋を探しました。ところが、大手の不動産会社は、田舎の土地など全く相手にしません。地元の不動産屋を探さなければなりませんが、当時はネットも一般的ではありませんでしたので、検討もつきませんでした。 そのうち、ネットも普及してきて、地元の不動産屋でもホームページが閲覧できるようになりましたが、問い合わせても歯切れが悪く、査定まで行きませんでした。ある不動産屋では査定はしてもらったものの、「あの土地は使い道がありません、うちでは仲介できません」と、けんもほろ
- 2458
- 0
田舎の店舗兼住宅が地元ではなかなか売れずにいました
父が田舎で家具店を経営しており、私の幼少期はこの店舗兼住宅で生活していました。その父は9年前に他界し、母は父が生前に建てたすぐ近くの住宅で一人暮らし、私は県内で別に所帯を持っているので、この店舗兼住宅の処分に困っていました。父がいなくなってからの3年ほどで親戚の方々にも手伝っていただいて店の商品や当時の生活用品を処分し、地元の不動産業者に賃貸もしくは売却を相談していましたがなかなか商談成立とならず、ここで思い切って価格を大幅に下げて広くいろんな方に告知したいと「家いちば」を利用することにしました。 それまでは年に数回、問い合わせと内見があるかないかぐらいの頻度でなかなか成約に至りませんでした