建物はなぜ「老朽化」するのか?
人が「老いる」のと建物とでは違う 建物を「老いる」と言うと、まるで建物が「生き物」みたいですが、そんなことはありませんよね。建物は骨組みや仕上げ材などたくさんの部材や設備機器などの集合体でしかないので、生き物ではありません。細かく見ていくと、個々の部材や機器が、自然現象として劣化していきます。摩擦や振動による摩耗、空気や紫外線に当たることによる酸化、硬化、その他衝撃等での破損や汚れの固着による美観悪化など、さまざまな「劣化」現象が起こりますが、これらは時間が経つにしたがって進行していく、止められないものです。最終的には、ひびが入って漏水したり、機器が動かなくなったりします。建物が古くなると、こういう不具合があちこちで続出してくるので、これらを総称して「老朽化」と呼んだりしますが、建物そのものが老朽化したのとはちょっと違うところがあります。あくまでも個々の部材の耐用年数の問題であって、たいていはこれら部材を新しいものに「更新」することで解消されます。人間にも多くの「臓器」があって、それぞれ劣化していきますが、簡単に交換できるものでもなく、それによって人間は最終的に「死」を迎えます。しかし、建物の場合はそうではありません。その意味で、建物をまるで人間のように「老いる」と表現することに違和感があります。 機器更新をすればまだ十分に「生かせる」 同じように建物の「寿命」という言葉があります。これも変なものです。建物はそもそも「生きて」いないので、死もありません。死なないものの「寿命」とはどういうことなのか?それはあくまでも、利用している人間側の問題で、老朽化が進行した建物の修繕も更新もせず、使い勝手が悪くなったことを理由に「寿命が来た」と人間側が勝手に判断しているに過ぎません。建物側からすると晴天の霹靂でしょう。まだ、機器更新をすれば十分に使えるのに「死亡宣告」をされるようなものですから。そうやって「解体」としてほぼ強制的に葬りされれます。すなわち、建物は老朽化による寿命によってその生涯を終えるのでなく、人間によって殺されているだけです。 建物は老朽化するからしかたがないという思い込みを変える さて、建物は生き物ではないので、そこに同情も不要と思いますが、結局それによって損失を受けているのは人間のほうなのです。ある時期に、大きなお金を使って建てた建物を、きわめて短い期間で建て壊してしまうことの経済的損失は計り知れません。それが個人の問題として見ればそれまでですが、それを誰もがそういう不経済なことを繰り返していれば、社会全体として大きな損失として積み上がっていきます。実は日本がまさしくこういう状況です。今、社会問題化している「空き家問題」がその顕著な例です。特に戦後以降、こういうスクラップアンドビルドを繰り返してきたものだから、街中が「負の遺産」になってしまっています。まずは、「建物は老朽化するからしかたがない」という一人一人の思い込みから変えていくべきです。老いてるのは建物ではなく、人間のほうなのです。 (家いちばコンサルタント 藤木哲也)
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