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保健室だより

古い建物を改修するか廃墟とするか、渋沢栄一の故郷“深谷”に学ぶ

埼玉県深谷市|資本主義の行き着く先を、この街で考える 深谷市に行けば、「渋沢栄一の生誕の地」と書かれた看板をあちこちに見かける。駅や市役所の前には、大きな銅像も立っている。正直に言えば、最初は偉人にあやかった地域おこしの一つにしか見えていなかった。渋沢といえば、晩年を過ごした東京・王子の飛鳥山。庭園や邸宅跡、立派な資料館もあり、むしろこちらが“本家”という印象だった。 尊敬する偉人の一人 渋沢栄一については、あらためて説明するまでもないが、「日本の資本主義の父」と呼ばれる人物である。彼が設立に関わった企業は500社以上とも言われ、現在の銀行、ガス、鉄道をはじめ、製紙、セメント、ビールなど、日本を代表する企業の名前が並ぶ。中でも、渋沢が立ち上げた第一国立銀行は、日本初の銀行であり、まさに日本経済の出発点といえる存在だ。紙幣の肖像になるのが、むしろ遅すぎたくらいなのかもしれない。私自身も、もっとも尊敬する偉人の一人である。 現存する渋沢栄一の生家 その渋沢の生家が、市内の農村地帯の一角に、今も残されている。立派な農家の造りだ。ここでは養蚕や藍玉の製造・販売も行われており、渋沢は父を手伝いながら、商売の基礎を身につけていったという。近くには、幼い頃から論語を学んだ従兄、尾高淳忠の邸宅も、当時の姿のまま残されている。 この場所に立つと、渋沢が幼少期から青年期にかけて、志を育んでいった時間が、そのまま立ち上がってくるように感じられる。ここでの経験がなければ、後年のあの活躍もなかったかもしれない。そして、その先にある日本の姿も、また違ったものになっていたのだろう。そう思うと、この場所が持つ意味は、なんとも言いようのない重みを帯びてくる。 改修工事の記録展示に共感 この渋沢が生まれ育った土地と建物は、すでに深谷市の所有・管理となっている。一時期は老朽化が著しかったが、市は総事業費として4億円近くを投じ、数年前に大規模な改修工事を実施している。改修後は、最新の展示室として整備され、工事の過程や技術についての記録展示も充実していた。単に残すだけではなく、その過程までも含めて伝えようとしている。 私は、そこに強く共感した。 すぐに取り壊してしまう原因 日本ではまだ、この規模の改修事例は多くないように感じる。昔の職人仕事を再現するという技術的な問題もあるが、それだけではない。法規制への対応や、元々は住居だった建物を展示場へと用途変更する際に、どこを残し、どこを改良すべきかという判断も、非常に悩ましい問題となる。 こうした経験の蓄積が少ないがゆえに、結果として、 「建て替えたほうが早い」 という結論になりがちなのだ。 経験の共有、蓄積が大事 しかし、この渋沢邸の改修プロジェクトでは、それらの課題をひとつずつ乗り越え、その過程を「苦労話」として、あえてコンテンツとして公開している。これは単なる記録ではない。同様の悩みや困難に直面している個人や自治体にとって、大いに参考となる知見であることは間違いない。こうした経験が蓄積されていくことで、古い建物を大事にしていきたいという思いが、日本各地で現実のものになっていくのだと思う。 スーパーゼネコンが手掛ける改修工事の意義 この改修工事の設計と施工を、スーパーゼネコンの清水建設が担っているのも興味深い。ゼネコンという存在は、日本のスクラップアンドビルドを支えてきた中心的なプレイヤーである。都心では、古い町並みが更地になり、その上にタワークレーンが立ち並び、ガラス張りの巨大なビルが次々と建てられていく。その光景を見ていると、「まだこれほどの建物が必要なのか」と感じることもある。しかし一方で、そうした需要がなければ、日本の建設産業そのものが成り立たないのも事実だ。作り続けることを前提とした構造が、そこにはある。 その代表格である清水建設が、今回手がけているのは、ひとつの小さな改修プロジェクトである。通常、スーパーゼネコンが数億円規模の工事を請け負うことはほとんどない。かつて、渋沢栄一が清水建設の経営にも関わっていた時期があり、その縁もあったのかもしれない。 それにしても、興味深い。本来は「作る」ことで成り立ってきた企業が、ここでは「残す」ための仕事を担っている。そして、日本のゼネコンが持つ高度な技術力をもってすれば、こうした難解な改修工事も、見事に成し遂げることができるのだ。 深谷市の“思い” また、このプロジェクトにおいては、発注者である深谷市の尽力も、相当なものであったことは想像に難くない。人口13万人の地方都市にとって、4億円という予算は決して小さくない。しかも、整備して終わりではなく、その後の維持管理にも継続的にコストがかかる。それを前提にしてなお、なぜこの事業を実行し、そして続けていくことができているのか。その背景には、どのような判断があったのだろうか。 市内には、渋沢邸以外にも、渋沢ゆかりの建物が保存されている。「誠之堂」と「清風亭」である。誠之堂は、渋沢栄一の喜寿を記念して、大正時代に東京・世田谷の清和園に建てられた建物だが、その後、土地の売却に伴い、平成に入って取り壊しが決定していた。その歴史的価値を惜しんだ保存運動の関係者から、深谷市に相談が持ち込まれる。 それは、解体予定日のわずか5日前のことだった。 深谷市教育委員会は、翌日には市長に報告し、その日のうちに現地視察を行う。そして、この建物を深谷で引き取ることができないか、大至急の検討が始まった。深谷市は、「渋沢栄一翁の顕彰を推進している」としている。だからこそ、この建物をそのまま失うという選択は、取り得なかったのだろう。移築には技術的な困難も多かったが、専門家の協力を得ながら一つひとつ乗り越え、最終的にはその保存が実現した。この決断には、建築学界からも称賛の声が寄せられている。そしてこの経験が、後の渋沢邸の大規模改修にもつながっていったことは、想像に難くない。 深谷駅前もロードサイドに負ける さて、そんな深谷市だが、課題も多い。JRの深谷駅前に立つと、人影はまばらで、どこか静けさが漂っている。人口13万人という規模を考えると、やや物足りなさを感じる。駅舎は、東京駅を思わせるレンガ調の豪華な造りだが、その佇まいとは対照的に、駅前の賑わいは決して大きくない。市役所へと続くメインストリートは、拡幅工事も終え、整然と整備されている。しかし、その周囲に目を向けると、建物よりも駐車場が目立つ。地方都市ではよく見られる光景ではある。 いうまでもなく、モータリゼーションによる郊外化の結果である。駅から少し離れたロードサイドのスターバックスに入ってみると、店内は若者を中心に大いに賑わっていた。働いている人たちも含め、そこには確かな活気がある。人口が減ったから、客が減るのではない。人はいる。ただ、駅前には行きたい場所がないだけだ。 深谷が生んできた創業者たち 実は、深谷は、モータリゼーションの申し子ともいえる街である。ロードサイドでひときわ存在感を放っているのが、巨大なホームセンターだ。その代表格であるカインズの創業者、土屋嘉雄は深谷の出身である。さらに、同じグループにはワークマンやベイシアがあり、いずれもロードサイド型のビジネスで成長してきた企業だ。 そのほかにも、ドトールコーヒーの創業者である鳥羽博道、武富士の武井保雄など、名だたる創業者がこの地から生まれている。さらに、「ガリガリ君」で知られる赤城乳業も、この深谷の企業である。 これらの企業には、共通点がある。いずれも、庶民の日常に寄り添う堅実な商品に磨きをかけ、それを全国へと展開していることだ。派手さはないが、確実に需要のあるものを見極め、徹底的に磨き上げる。そうした商才の基盤が、この深谷という土地の風土から育まれてきたのではないかと感じる。 深谷ねぎが国内ナンバーワンの理由 その特徴は、もうひとつの名産である「深谷ねぎ」にも通じている。かつてこの地域では、藍や桑畑が広がっていたが、時代の変化に応じて、ねぎへと作物を転換していった。さらに、早い段階から商標登録を行い、ブランドとしての価値を確立するなど、地道な努力と工夫を重ねてきた。いまや、ねぎの生産量で国内トップを誇るのも、決して偶然ではない。 市街地の反逆は“東京”を超えるか そんな深谷では、市街地の「反逆」が静かに進んでいる。駅から少し歩いた旧中山道沿いに、「七ツ梅酒造跡」がある。廃業した酒蔵の建物をそのまま活かし、カフェや雑貨店などが入居している。それらは路地でゆるやかにつながり、外の通りとは切り離された、ひとつの小さな世界をつくり出している。その中には、ミニシアターである深谷シネマもある。どの店も個性が強く、均質なチェーン店とは明らかに異なる魅力を持っている。 こうした刺激は、ロードサイドでは決して得られないものだ。私はここに、むしろ“都会的なもの”を感じた。しかも東京ですら、近年はこうした空気が、少しずつ失われつつあるようにも思える。 かつてこの地は、渋沢栄一という偉人を生み出した。その思想は、日本経済の発展を支え、やがてモータリゼーションの進展へとつながっていく。それは人々の生活を豊かにする一方で、地域ごとのオリジナリティを、少しずつ均していく力でもあった。東京もまた、その例外ではない。しかしいま、その流れの先にある新しい動きが、再び地方から生まれようとしているようにも見える。 そう考えるのは、少し言い過ぎだろうか。 深谷市文化振興課「深谷市への移築」 https://www.city.fukaya.saitama.jp/soshiki/kyoiku/bunka/tanto/seisido_seifutei/1391489552996.html 【執筆者プロフィール】 藤木哲也(家いちば代表) 建築・不動産・金融の実務を経て独立。空き家の個人間売買サービス「家いちば」を運営し、古い建物を活かす新しい流通の形を提案している。MBA(経営学修士)、一級建築士、宅地建物取引士。著書に『空き家幸福論』(日経BP)

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    内部の展示の様子

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    2階の展示は工事記録を中心に

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    屋根裏で鉄骨による耐震補強フレーム

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    渋沢邸の周辺は青淵公園として整備されている

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    公園内の各所で渋沢栄一の名言を学べる

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    近くに従兄の尾高淳忠宅も当時のまま残っている

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    渋沢が愛した郷土料理「煮ぼうとう」

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    世田谷区から移築された「誠之堂」

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    「清和園」

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    深谷で作られた煉瓦は東京駅などで使われたことから、駅舎は東京駅を模したデザインに

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    駅前の渋沢栄一の銅像

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    市役所前の渋沢栄一の銅像

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    商店街のいたるところが空き地となっている

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    七ツ梅酒造跡

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    七ツ梅酒造跡の中のカフェ

それ、売ってはいけない
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その家には、
まだ役目が残っているかもしれない。

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場所があります。

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