レトロな街、秩父に人が集まる理由
埼玉県秩父市|武甲山の削られた山肌を見上げて暮らす街 卒業式のシーズンだ。今、全国の小中学校で最も歌われている卒業ソングといえば「旅立ちの日に」だ。かつての「仰げば尊し」や「贈る言葉」などの定番は過去のものとなっている。この歌のルーツが秩父市にあり、市内の中学校の教員が作ったものだ。当時、荒れていた中学校を歌で回復させようと考えて作られたのが、毎年歌い継がれ、そのうち東京の作曲家によって合唱曲として編曲され、テレビなどでも取り上げられるようになり、全国に広がっていった。 実は私はそのことを知らずに、秩父市に訪れた際に上った展望台で、人が通ることを感知して自動で突然この音楽が流れだし、びっくりしたのだった。そして、横を見れば、知らない女性が涙を流してうつむいていた。私は、どこかで聴いたことのある合唱曲だな、くらいにしか思わなかったが、後で調べてみて納得した次第だ。この曲を聴いて、何かを思い出したのか。いや、そうでなくても涙が自然とこみ上げてくる力がこの曲にある。それに、曲の最後の「あの大空に」という歌詞がこの展望台からの風景によく合う。 旅立ちの日に https://www.youtube.com/watch?v=HhUe5JrstrU 無残に削られた武甲山 秩父市街を見渡す展望台から、真っ先に目に止まるのが、武甲山だ。秩父神社のご神体でもあり、太古からは日本武尊の伝説もある由緒ある霊山であるが、その山肌が無残に削られてしまっている。ここは秩父セメントで知られる、国内屈指の石灰の産地でもある。しかし、露天掘りの鉱山の光景はよく目にするが、このように山が丸ごと採掘所となっているのは珍しい。しかも、これが街のランドマークになっている。 自然と経済の葛藤 もちろん、1970年代頃から山の保護運動も起こっている。しかし、鉱業が地域経済の基盤ともなっていることもあり、開発中止までは行かず、その代わり、自然や歴史的価値について記録保存をしていこうということで、今も採掘は継続されている。それが、この土地の選択なのだろう。神の山を削りながら、その恵みで暮らしているのだ。自然保護か経済か、どちらを優先すべきかは世界的な課題であるが、その問いが、ここでは今もむき出しのまま残っている。 活気のあるレトロな街並み 市の中心部を歩いてみると、秩父神社を中心にその門前町である「番場通り」があり、通りには明治大正期の古い建物がよく残されている。このような古い町並みは全国にもあるが、秩父の特色は、それらが現代風の用途に置き換えられ、今も現役で活用されている点にある。カフェ、レストランはもちろん、ホテル、スイーツ、洋食屋と実に多様で飽きない。行列ができるような人気店も少なくない。古いものが、古いまま残っているのではない。それらが、いまもこの街の営みとして息づいている。 政府に対して市民が立ち上がった歴史 しかし、秩父の歴史を振り返ると、葛藤もある。明治初期の秩父事件だ。富国強兵策による増税やデフレによって経済的な打撃を受けた人々が、日本政府に対して武装蜂起をした事件で、この動きは隣接県にも波及し、全国でも最大規模の反乱へと発展した。 今ではレトロな町、あるいはアニメの聖地として華やかに語られる秩父だが、その裏にはこうした歴史がある。削られた山肌を露わにしながら、静かに街を見下ろす武甲山。その風景の中に、この土地が抱えてきたものが、どこか重なって見える。 若い力に未来を さて、卒業ソングが流れる「旅立ちの丘」と呼ばれる展望台のある一体は、秩父ミューズパークという大きな公園として整備されている。ここはかつて、バブル期のリゾート開発の中でつくられ、やがて破綻し、事業者の撤退を経て市に引き継がれた場所だ。いまでは、市民の憩いの場として静かに使われている。 この公園内に、もうひとつ大きな展望施設がある。そこからは、武甲山がより身近に眺められる。ちょうど私の後ろから、若い男女のグループがわいわいと登ってきた。髪を染めた今時の若者だ。これでは情緒もない、と下りの階段へ足を向けた。 しかし若者は、視界が開けた瞬間に、無口になった。そして、しんみり語り出した。私は知らないふりをして耳を傾けた。どうやら、秩父から新潟に出て暮らしているが、久しぶりに帰ってきたところらしい。ほかの3人も似たような境遇のようだ。 「秩父、いいよね。」 「私も、帰ろっかな。」 その言葉を聞きながら、私の耳には「旅立ちの日に」が流れていた。若者よ、大空にはばたけ。私のほうは、若い日に戻りたくなった。秩父、いいよね。 【執筆者プロフィール】 藤木哲也(家いちば代表) 建築・不動産・金融の実務を経て独立。空き家の個人間売買サービス「家いちば」を運営し、古い建物を活かす新しい流通の形を提案している。MBA(経営学修士)、一級建築士、宅地建物取引士。著書に『空き家幸福論』(日経BP)
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