“ガーデンシティ”を生んだ幕末の名藩主
茨城県水戸市|徳川斉昭が創設した偕楽園と弘道館 私が最近注目しているエリアのひとつが、茨城県である。魅力度としては全国ワースト2位の県であり、その中心となる水戸市が県庁所在都市としては人口が全国37位と小ぶりでやや印象が薄い。茨城の地味な理由は明確で、周辺には国立公園や世界遺産クラスの観光名所がないからだ。しかし、観光の知名度と暮らしやすさは別物だ。それは、行ってみれば分かる。 広大な都市公園が残る中心部 まず、水戸の中心部に向かうと、広大な緑地を目にする。芝生と湖(千波湖)があって視界が開けていて、一見すると田舎の風景に見える。しかし実は、ここは県立公園として指定されたエリアで都市計画でそうなっているのであって、田舎だからではない。この公園は水戸駅など都心部に近接している。もし、都市計画がなかったら、商業地か住宅地として開発されていてもおかしくない場所だ。それをあえて公園として残した。 東京都心にも大きな緑地がある。新宿駅の周辺に、明治神宮、代々木公園、新宿御苑という大規模な公園が取り囲む。しかし、水戸の公園面積は、それらの合計面積の2倍近い300ヘクタールもあるのだ。人口26万の都市になんともぜいたくな公共空間なのだろう。千波湖の周囲はジョギングコースなどに整備されていて、市民が思い思いにくつろいでいる。十分な駐車場も備わっているから、家族でも気軽に遊びに来て週末を過ごせる。 日本三名園の「偕楽園」が都市公園の原型 この水戸県立自然公園のルーツは、偕楽園にある。ご存じ、日本三名園のひとつで、江戸時代は徳川家の御三家として栄えた水戸藩主、徳川斉昭によって作られた庭園だが、斉昭はここを始めから領民に広く開かれた共に楽しむ場所にしようと計画した。千波湖は偕楽園の借景であった。今も当時の面影を残す「好文亭」から周辺が一望でき、ここも庶民に解放された。このような江戸時代の名所が、明治期以降に制定された日本の「公園」の原型となった。 水戸藩主が築いた「弘道館」の思想の影響力 この公園の一部として、弘道館も含まれる。弘道館は、江戸時代の藩校で、全国でも最大規模のものだった。これも斉昭が建てたもので、武道や儒学だけでなく、医学や天文学などもここで学ぶことができ、まるで今でいうの総合大学のようだ。ただし、当時の水戸藩は決して財政が楽だったわけではないらしい。それでもあえて教育に力を入れたのは斉昭の思想だった。特に疫病対策など現代日本の予防医学の基礎として貢献もしている。 そして、弘道館が生んだ思想から、国内中に尊王攘夷のうねりが起こり、最終的に倒幕、明治維新へとつながっている。維新の英雄として坂本龍馬や西郷隆盛の名前があがるが、その最初の流れを作りだしたのは水戸の斉昭だと言える。しかし皮肉なことに、維新の発端となった水戸藩は、明治新政府の主役にはなれず、薩摩や長州に譲ることとなった。水戸が盛り上がるのが早すぎたのである。それでも、斉昭の子である慶喜が大政奉還をして江戸幕府の幕引きをしてくれたことで、明治維新が実現できたのであるから、維新の始まりも終わりも全て水戸藩だったことになる。 “敗者”の水戸からこそ学ぶべし 明治維新で「負けた」水戸だが、それが回りまわって現代の姿はどうだろうか。人口や魅力度ランキングでは他県より劣るが、これからの時代は、そんな数字だけでは測れない。人口で言えば、もやは日本中が減少している。それで競うことに意味があるだろうか。幸いなことに、日本を変えた斉昭の思想が、遺構として現在に残され、それらを目にすることができる。建物や空間が残っているからこそ、当時の思想は今も体験として伝わってくる。観光地としての派手さはない。しかし、水戸には、都市がどのように作られるべきかという答えが静かに残されている。
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