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家いちば見聞録

かつての栃木県都の繁栄を支え見守ってきた山と農村【栃木後編】

栃木県栃木市岩舟町|東京から「畑仕事」をしたくて移住してきた家族の姿 岩船山に来た。前編で訪れた栃木市立文学館の「とちぎ文学ゆかりの地」にも紹介されていた、アニメーション映画『秒速5センチメートル』の舞台となった岩舟駅がすぐそばにある。遠くから見ると、田園の広がる平野の中に、突如としてそびえる岩山だ。まるで軍艦のようにも見える。てっきり、その姿が「岩船」という名前の由来なのだろうと思っていたら、違った。ここは、かつて岩舟石を切り出していた採石場で、長年の採掘によって山が大きく削られ、現在の独特な姿になったのだという。「岩船」という名前はもっと古く、奈良時代に、この山に船の形をした大きな岩があったことに由来すると伝えられている。 家いちば見聞録【栃木前編】 https://ieichiba.com/kenbunroku/686%E6%A0%83%E6%9C%A8 アニメ映画のロケ地「岩舟駅」 栃木の石といえば「大谷石」が有名だ。岩舟石という名前は初めて聞いた。そこで、駅の近くにある「岩舟石の資料館」に行ってみた。見るからに石造りと分かる建物だ。しかし、資料館と呼ぶにはずいぶん小さい。誰かの邸宅のようにも見える。目立つ看板もない。古びた扉を開けると、奥から女性が出てきた。小さなスペースに展示物が並んでいる。どうやら、ここが展示室らしい。 こちらから聞くまでもなく、岩舟石のことを詳しく話してくれた。そして、いつもの展開だが、思い出したかのように、どこから来たのか、なぜ来たのかと聞かれた。素直に『秒速5センチメートル』でこの場所を知ったことを伝えると、女性の表情がぱっと明るくなった。手元のクリアファイルを開いて見せてくれたのは、岩舟駅が登場する映画のシーンと、実際の風景を並べた写真だった。 「映画を観たと言って、この資料館に来る人も多いのよ。」 ちょうど2025年10月に、このアニメが実写映画化されたばかりでもあった。しかし、実写版のロケでは岩舟駅は使われず、長野県のしなの鉄道の駅で撮影されたらしい。雪が降りしきるシーンだから、撮影の都合でそうなったのだろうか。栃木県南部で、それほどの大雪になることは滅多にない。女性は少し残念そうに、何年か前に大雪が降ったときの岩舟駅前の写真を見せてくれた。それにしても、至れり尽くせりだ。この資料館では、石のことよりも映画のことのほうが詳しくなれる。岩船山の登り口や撮影スポットなども教えてくれた。 そんな“聖地”である岩舟駅に行ってみると、意外にも、聖地であることをそれほど前面に押し出してはいなかった。のぼりくらいは立っているものと想像していたが、駅舎の壁にアニメツーリズム協会の「認定書」がそっと貼られているだけだった。しかし、この映画の場合は、むしろそのほうがしっくりくる。 日常の「あるがままの風景」が聖地になる そもそも、アニメの舞台となった場所を訪れる“聖地巡礼”が、観光とセットで語られるようになったのは、いつ頃からだったのだろうか。その歴史の中でも、新海誠監督の作品は、実際の風景を徹底的にリアルに描くという点で、革新的な存在だったと思う。しかも、その舞台となるのは、もともと有名な観光名所や寺社仏閣ばかりではない。むしろ、日常の何気ない風景だったりする。はっきり言えば、決して“美しい”とは思えなかったような光景だ。しかし、そんな風景が、新海監督の映像を通すことで、心に響くものへと変わってしまう。 私自身、かつては特に東京の風景があまり好きではなかった。建物の色も形もバラバラで、目の前には電線が張り巡らされている。雑然としていて、見苦しいとさえ感じていた。ところが、新海監督の魔法によって、その考えが根本から変わってしまった。何か特別なものがあるわけでもない。きれいに整備されているわけでもない。それでも、そこにあるがままの風景を、とても美しいと感じるようになったのだ。 岩船山は特撮のロケ地として今も「現役」 資料館の女性に教えてもらった通り、岩船山の中腹にある駐車場まで車で登り、そこから頂上付近にある高勝寺まで階段を上った。途中からでも、すでに眺めがいい。見上げると、荒々しい岩肌の絶壁がそそり立っている。脇道に入ると、「岩船山クリフステージ」と呼ばれる場所を見渡せるところがある。ここもまた、ロケ地としての“聖地”だ。「仮面ライダー」や戦隊シリーズなど、特撮作品の爆破シーンの撮影によく使われてきた場所らしい。そう思って眺めてみると、確かにどこか見覚えのある風景だ。 もともとは、採石場として栄えた場所だ。ここで切り出された岩舟石は、大谷石よりも硬く、耐久性も高かったことから、建物の土台や石垣などによく使われ、栃木市内を流れる巴波川の護岸にも、その石積みが残されている。明治時代には、石材を運ぶための「岩舟人車鉄道」まで開業した。人が貨車を押して走らせるという、今では想像しにくい鉄道だ。岩船山から切り出された石材は、この鉄道で渡良瀬川の河岸まで運ばれ、そこから舟で各地へ送り出された。採石業は昭和に入ってからも続いたが、やがてコンクリートなどの建築資材が普及し、採石場としての役割を終えた。言わば、炭鉱町に今も残るボタ山のようなものだ。しかし、岩船山は今も、形を変えて「現役」なのだ。 岩舟と徳川将軍家とのつながり 岩船山は、徳川将軍家にとっても特別な場所だった。3代将軍・徳川家光の側室、お楽の方(高島御前)は岩船地蔵を深く信仰し、その御利益によって、のちの4代将軍・家綱が誕生したと伝えられている。お楽の方は、隣町の旧大平町にあたる高島村の農家に生まれた。江戸に出た後、大奥で大きな権力を持っていた春日局の目に留まり、家光の側室となった。そして、次の将軍となる竹千代(のちの家綱)を産む。一介の農家の娘が、将軍の生母にまで登り詰めた、まさにシンデレラストーリーだった。しかも、竹千代が誕生した時に、家光はすでに30代後半。将軍家にとって待望の男子の誕生だった。幕府の後継者問題に大きな安心をもたらす出来事だったことは、想像に難くない。 関東でも有数の観光ぶどうの産地 旧大平町にある「栃木市おおひら歴史民俗資料館」に行くと、お楽の方についての詳しい展示を見ることができる。資料館の隣には「白石家戸長屋敷」という古い建物も残されている。白石家は、戦国時代の武士にルーツを持ち、江戸時代から明治時代にかけて、この地域の発展を支えてきた豪農の家系だ。この一帯が、古くから農業の盛んな土地だったことがうかがえる。資料館の周辺には広大な田園風景が広がり、ビニールハウスもたくさん見かける。ぶどうの栽培が盛んなのだ。資料館のある通りは「ぶどう通り」と呼ばれ、ぶどうの直売所がずらりと並んでいる。ここは、関東でも有数の観光ぶどうの産地なのだ。 この地をビール麦で日本一にした人物 資料館では、「田村律之助」という人物のことも知った。実は、「ビール麦の父」と呼ばれている偉大な人だ。大平町で生まれた律之助は、東京農林学校(現在の東京大学農学部の前身)で近代農業を学び、卒業後に故郷へ戻って農業指導に取り組んだ。そして明治41年(1908年)、まだ日本人が今ほどビールを飲んでいなかった時代に、その将来性を見込んで、大日本麦酒(現在のアサヒビールとサッポロビールのルーツ)と契約を結んだ。地元で生産したビール麦を、安定した価格で買い取ってもらう仕組みをつくったのだ。これによって農家の経営は安定し、ビール麦の生産も拡大した。導入からわずか10年ほどで、栃木県は全国でも有数の産地へと成長したという。現在では輸入麦も広く使われているが、国産ビール麦の産地としての地位は健在だ。栃木市のビール麦の農業産出額は、今も全国第1位なのだ。 大平山と広大な関東平野 旧岩舟町も大平町も、北側に連なる太平山地のふもとにある町だ。太平山は、古くから信仰の対象だった。山中にある太平山神社は、約1300年の歴史を持つ由緒ある神社だ。栃木市民にとっては、毎年の初詣や七五三、安全祈願などで訪れる、なじみ深い場所でもある。標高は340メートルほど。それほど大きな山ではない。それゆえに、親しみやすい里山のような存在なのだ。山には遊覧道路が整備されていて、「謙信平」という場所に行くと、昔ながらの茶屋が並んでいる。そこで名物のだんごや玉子焼きを食べて楽しめる。古くから、庶民の娯楽の場所でもあったようだ。その昔、上杉謙信がこの場所を訪れ、南側に広がる関東平野を見渡して、深く感嘆したと言い伝えられている。その謙信の気持ちがよく分かるほど、ここからの眺めは壮大だ。 シンボルのようにそびえる里山と、広大な関東平野に広がる田園。それが、この地域の暮らしを支えてきた。かつて県庁が置かれるほどに、舟運によって繁栄した栃木の街。その中心を流れる巴波川の河岸では、周辺の農村で栽培された「麻」が盛んに取引されていた。栃木周辺で栽培された麻は、特に「野州麻」と呼ばれ、江戸をはじめ各地で重宝された。丈夫な野州麻は、荷造り縄や下駄の鼻緒のほか、漁網などにも欠かせない存在だったという。そして、この地域の農業は、時代の変化に合わせて、ビール麦やぶどうなど、さまざまな作物を育ててきた。 かつて山では良質な石材が採れ、町の繁栄を支えていた。それが今では、映画などのロケ地として人々の心を揺り動かす存在となっている。また、前編でも触れたように、里山の豊かな自然を守ろうとする活動が、都会から人々を呼び寄せるきっかけにもなっている。この流れに、物質的なものに頼るだけではない豊かさを求める、次の時代への兆しを感じる。 両毛線と古くからの「東山道」で横につながる 栃木市の中心部から大平、岩舟へと続くこの地域は、現代ではJRの「両毛線」で横につながっている。この一帯には、古くは大化改新の頃から整備が進められた、都と東国を結ぶ「東山道」という幹線道路も通っていた。北陸道や東海道と並ぶ、古代日本の重要な交通路のひとつだ。北陸道や東海道という名前は、今でもよく知られているが、東山道はややマイナーな存在だ。それでも、その道筋をたどってみると、古くからこの地域が交通の要衝だったことが見えてくる。 3町合併による幻の「みかも市」構想 しかし、こののどかな田園地帯が、合併問題に揺れた時期があった。今から20年以上も前のことだ。岩舟町と大平町、それに南側の藤岡町の3町で合併協議が進められ、2004年には新しい市の名前を「みかも市」とすることまで決まっていた。ところが、合併後の庁舎をどこに置くかで話がまとまらず、協議は紛糾。結局、合併は白紙となってしまった。その後、2010年には大平町と藤岡町が、先に栃木市と合併する。 取り残された岩舟町は、選択を迫られることになった。西隣の佐野市と合併する道もあった。もともと佐野市とは生活圏が近く、結びつきも強い。一時は佐野市との合併協議も正式に進められた。しかし、最終的に行われた住民投票では、栃木市との合併を望む声が多数を占めた。そして2014年、岩舟町も栃木市に加わることになった。当時の統計では、岩舟町からの通勤先として、佐野市よりも栃木市の割合が高かったという。そうした日常生活のつながりも、住民の選択に影響したのかもしれない。 家いちば見聞録【佐野編】 https://ieichiba.com/kenbunroku/644%E4%BD%90%E9%87%8E 栃木市に移住してきた平野さんの家へ これで「栃木市」のことがよく分かった。宇都宮の影に隠れて、ややイメージが薄くなっている事情も理解した。それゆえに「知る人ぞ知る」魅力的な街になっているのではないか。平野さんが移住先に栃木市を選んだ理由も分かった。さすがだと思った。やはり見る目が違う。私が見てきた栃木の素晴らしさとその感動を早く伝えたかった。私は、岩舟町内にある平野さんが暮らす家に向かった。 小高い里山の山裾、一段高くなった小さな道沿いに、その家はある。目の前には田園風景が広がる、のどかな場所だ。古い建物が2棟、つながるように並んでいる。増築した方は築50年、古い方は築100年くらいになるという。戦前の昭和初期の古民家だ。玄関の呼び鈴を鳴らそうと近づくと、子どもが縁側から顔を出した。 「お父さんは、洗濯に行ってます。」 近くのコインランドリーにでも出かけているのかと思ったら、違った。平野さんがすぐに出迎えてくれた。どうやら家が広すぎて、同じ家の中なのに、洗濯に「行く」という表現になってしまったようだ。子どもは正直である。息子さんは小学1年生。それと、2歳になったばかりの娘さんがいる。奥さんは現在仕事には就いておらず、家の前の菜園で畑仕事をするのが日課だ。ブラジルの出身だというが、すっかり日本の田舎暮らしになじんでいる様子だった。 さっそく、ちゃぶ台を囲んで、私の栃木レポートを披露した。栃木はいいところですね、と精一杯の賛辞を送ったつもりだ。特に、巴波川沿いの歴史ある街並みの素晴らしさに共感してほしかった。しかし、平野さんの反応はちょっと違った。 「栃木の駅の方はあまり行かないです。たしか、そんな場所もあるみたいですね。今度行ってみます。仕事で市役所には行きましたが、あまり印象がないです。」 聞いてみると、平野さんは、「秒速5センチ」という映画どころか、岩船山すら知らなかった。すぐ近くにあるにも関わらず。 「そんなところがあったんですね。今度行ってみます。」 私はじれったくなって、栃木のどこがよかったのか、ストレートに尋ねてみた。 「栃木のイメージは、マイナスはないです。まあ、プラスもないですが。栃木県って、魅力度ランキングで結構下の方なんですよね。」 どうやら、平野さんには栃木市民となった誇りは特にないようだ。 「とにかく畑仕事をやりたかったのです。ここは、それがちょうどいい広さでした。広すぎず、狭すぎず。」 自慢の畑を案内してくれた。赤く実ったトマトをその場でもいで、食べさせてくれた。スーパーで売られているトマトよりもやや小ぶりだった。かじってみると、甘さというよりも、トマトらしい旨味が口の中に広がった。農薬を使っていない新鮮な野菜を実ったら食べる。シンプルに、生きている実感がある。彼ら夫婦が家庭菜園にはまるのも分かる。しかし、彼らが耕す畑の大部分は、雑草に覆われてしまっていて、畑にすら見えない状態だった。 「今の一番の悩みは、時間がないことです。時間を作って、畑仕事をもっとやりたいです。」 自然の中で遊ぶ子どもたちと、助け合う地域の暮らし 畑の案内の最中も、横で小学1年の息子が黙っていない。畑について、彼なりにも語りたいことがあるようだった。そうやって、彼の後をついて行くうちに、気づいたら鬼ごっこに変わっていた。ここは自然に囲まれた楽しい遊び場だ。こういう日常を、子供を持つ家族なら、一度は夢見るものかもしれない。 楽しそうに笑い、走り回る子ども達だが、実際に東京とこことどっちがいいかを聞くと、「東京」と答えるらしい。都内には整備された大きな公園もたくさんある。友達も都会の方が多い。今の小学校は1学年で生徒が7人。スクールバスでの通学だ。 「ここらへんは、市街化調整区域だから、人が増えないのです。」 宅建士でもある平野さんらしい分析だ。裏山のお寺には、もう住職もいなくなって、地元で手分けして維持しているという。自治会の集まりとして、毎月草刈りもやっている。この物件の売主だった人は、佐野に住んでいるらしく、今でも平野さんと交流があって、たまに子どもを預かって見てくれてもいるそうだ。そうやって、助け合って暮らしているのだ。いい話だと思った。しかしその背景には、複雑な問題もある。 帰りに、佐野のラーメン屋に立ち寄った。少ししょっぱく感じた。

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    岩舟石の資料館

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    資料館で見せられた「秒速5センチメートル」のロケ地写真

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    岩舟駅

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    岩舟駅のロビー

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    アニメツーリズム協会の認定書

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    岩舟駅から町並みを見たところ

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    岩船山高勝寺に向かう参道の長い階段

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    岩船山山頂付近にある高勝寺の三重塔

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    特撮映画などの撮影場所となっている「岩船山クリフステージ」付近※場内は一般立入禁止

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    栃木市おおひら歴史民俗資料館にある「白石家戸長屋敷」

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    お楽の方(高島御前)の展示

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    太平周辺の広大なぶどう畑

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    大平町のぶどう通りには観光ぶどう園やみやげ物屋が並ぶ

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    「ビール麦の父」と呼ばれた田村律之助

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    金滝山 清水寺にある見晴らし台からのぶどう畑方面を見渡す

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    栃木市民の参拝の定番「太平山神社」

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    大平山遊覧道路にある「謙信平」展望台

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    東京から栃木市に移住した平野さんの家

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    築100年の古民家らしい造り

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    平野さん一家

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    家庭菜園で育てているトマト

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    家の前の芝生で鬼ごっこ

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    裏山のお寺は地域住民で維持をしている

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